オーテムトロッコが故障し、最早ここまでかと思ったが、荷馬車に乗せてもらえば都市まで行くことができるはずだ。
金はないが、食糧品はある。
頼み込めば、どうにかなるかもしれない。
俺は荷馬車に駆け寄り、御者台に座る緑髪の男に目を向ける。
薄っすらと、頬に剃り残しの髭見える。男は、二十代前半といったところだろうが。
「俺はアベルという者です。その、実は、俺の移動手段が壊れてしまいまして。どこか街まで連れて行ってもらえませんか? 本当、街ならどこでもいいので」
「私のことは、ジェームと呼んでください。こんな森中でそれは大変でしょう。ぜひ乗っていってください」
助かった。
もう集落に帰るしかないかと半ば諦めていたところだった。
まさかこんな形で九死に一生を得るとは思わなかった。
「ありがとうございます! 本当に、本当に助かりました!」
「ただ……その、壊れた移動手段というのは?」
「これのことです」
俺はオーテムトロッコを指差した。
ジェームは、オーテムトロッコを見てから目を擦る。
まるで見たものが信じられないとでもいうかのようだった。
「えっと……あれに魔獣でも括りつけていたのかい?」
「いえ、あれが魔力で動くようになっているんですよ。こう、ガタンゴトンと」
「へ、へぇ……」
「そうだ! あれ、街についたら修理できると思うんですけど、お礼に……」
「……え? あ、あまりスペースはないから、できれば置いていってほしいかな。荷物もあまり嵩張るものは諦めてもらわないとちょっと……」
俺は荷台を見る。
山のように麻袋が積まれており、確かにオーテムトロッコを積む猶予はない。
わざわざ荷物を捨ててもらうというわけにもいかないだろう。
それになんだか、ジェームのオーテムトロッコを見る目が訝し気だ。
俺もマーレン族としての生活が長いので感覚が麻痺していたが、オーテムの顔はものによっては結構不気味だ。
あまり世間一般に受け入れられるものではないだろう。
「そ、そうですか……」
悔しいが、オーテムトロッコとはここでお別れだ。
俺はオーテムトロッコの頭を撫で、手で十字を切った。
ごめんよ、オーテムトロッコよ。俺が不甲斐ないがばかりに、妹の罠に掛かってしまうとは。
俺は木彫ナイフで、オーテムトロッコに『荷馬車に乗せてもらうことにした。悪いが、しばらくは帰らない』と彫っておいた。
オーテムトロッコを故障させたのに俺が帰らなければ、俺が途中で力尽きたと思ってジゼルが捜しに来るはずだ。
それでも見つからなければ、俺が森で遭難して死んだのかもしれないと、そう心配するかもしれない。
これくらいのフォローはしておこう。
俺はオーテムトロッコから香煙葉ピィープの束を入れた袋を取り出し、荷台に移させてもらう。
荷台で麻袋に揉まれながら寝転がっている羊角の少女と目が合った。
こっちも俺の同行人になる人だ。挨拶はしておこう。
「どうも」
羊少女は俺の挨拶には答えず、御者台にいる緑髪の男へと目を向ける。
「ちょっとージェームさん、この人乗せるんですかー? もう、やだなぁ、もう、メアはゆっくりしたかったのにー」
メア、と名乗る羊少女は、そう言いながらも声がちょっと弾んでいる。
そそくさと麻袋を荷台の端に寄せていく。
一瞬歓迎されていないのかと思ったが、そうでもなさそうだ。ちょっと安心した。
「ほら、ほら早く。乗せるからこっちに渡してください」
「じゃ、じゃあ頼む」
メアは俺と同じ歳か、少し下くらいに見える。
別に敬語じゃなくてもいいだろう。
種族によっては数百歳だったりするかもしれないが。
「これ、何が入ってるんですか?」
言いながら、メアはバンバンと袋を叩く。
中で香煙葉ピィープの砕ける音がする。
「お、おい、それ、あんまり叩かないでくれ! 俺の数少ない資産だから!」
なんだこの子、ちょっと不安になってきたぞ。
ジェームを見ると、目を逸らされた。彼も色々と苦労していそうだ。
またオーテムトロッコへと戻り、あれやこれやを運んでいく。
「なんですかこの本? 見たことない文字ですけど……うわ、不気味な挿し絵。ちょっと趣味悪いですよこれ」
「借り物だから! ああ、折り目つけないで! そのまま、そのままそっと置いといて! 俺が族長に怒られるから!」
「なんですかこのジュース?」
「それは一本飲めば一週間は不眠不休で動ける上、何かに急き立てられているような気になって心が治まらず、恐ろしく作業の捗る俺の特製ドリンクで……おい、ちょっと、捨てようとするな!」
「間違って飲んだらどう責任とってくれるんですかこんなもん!」
「毒みたいな扱いするんじゃねぇよ!」
「まだ荷物あるんですか。あ、美味しそうな干し肉じゃないですか。何の肉ですか?」
「グレーターベア」
「えっ」
「グレーターベア」
そんなこんなで、どうにか荷物の大半を運び終えた。
ただ、まだオーテム二体が残っている。無理に乗せれば、他の荷物が溢れてしまいそうだ。
このオーテムは、俺の最高傑作と、ジゼルが初めて彫ったオーテムだ。なるべく捨てていきたくはない。
それにひょっとしたら、ジゼルがここまで来るかもしれないのだ。
こんなところに自分の彫ったオーテムが無造作に捨てられていれば、きっとジゼルは悲しむだろう。
結婚式前に逃げ出した俺が今更心配するようなことなのかもしれないが、しかしだからこそ追い打ちを掛けるような真似はしたくない。
俺は二体のオーテムを両腕に抱え、よろめきながら荷馬車へと近づく。
「なぁ……その、これ……」
「うわっ、なんですかその不気味な人形。もう、そんなの乗せるスペースはありませんよ。それになんか、同乗してたら呪われそうですし。捨ててっててください」
「詰めたらなんとか……?」
「荷物が溢れて、走ってる間に零れ落ちますね。メア的にはどうでもいいんですけど、ジェームさんが泣きますよ」
「じゃあ俺の干し肉とか、そっちの袋下ろしたらどうにか……」
俺が干し肉の束へと手を伸ばすと、メアがそれを先に取って俺からさっと遠ざけた。
「い、嫌です! 貴重なたんぱく質は渡しません!」
……いや、俺のなんだけど。
でも確かに、干し肉を下ろした程度では全然足りないか……。
「じゃあもういっそのこと、俺が乗らないからこのオーテムだけでも街へ……」
「……別にメアはいいんですけどー、それ、目的見失ってません?」
悩んだ末に、オーテム二体は焼却処分することにした。
ゆっくり自然の中で朽ちていくよりも、自分の手で壊した方がまだいくらかは救いがある。
あのオーテムは二度と帰って来ない。されど、それでも、オーテムはまた彫ることができるのだ。
こうして焼いてしまえば、ジゼルが後々捨てられたオーテムを見つけて悲しむこともない。
「…………」
俺は地べたの上に三角座りし、空へと登る煙を見つめていた。
涙が止まらなかった。
吐き気が込み上げてきて、俺は口許を押さえた。
「ひぐっ……ひぐっ……」
「な、なんだか、捨てろって言ってすいませんでした。ほら、もう、早く行きましょう。見ていても辛いでしょう」
俺はオーテムについた火が消えるまで見届けてから、荷馬車へと乗り込んだ。