眉間へひとつ皺を刻み、むすりと不機嫌そうな表情をすれば、もういくら言っても無駄なことはウリドラも理解している。手をひらひらして降参すると、どうやら納得してくれたようだ。 外ではまだ豪雨が江東区へ降り注いでいるけれど、熱いシャワーの湯気に触れると怖さは少し遠ざかる。 というよりも、少女はこれから見る映画、それにおやつ作りのことを楽しみにし始めていた。 手を引かれ、ジャッと熱い湯をかけられると、思いがけずマリーは大きな声で笑う。たぶんウリドラの楽しげな顔を見たせいだ。 この日ばかりは「バスタオル姿で歩き回ってはいけません」という張り紙を無視しても別に構わないだろう。まあ、それは少女の書いたものなのだから、本人が良しとすれば良しになる。 さて、2人の選んだ映画は、太古の生物をフィーチャーしたものだった。 北瀬の会員証を使って大丈夫かとドキドキしたけれど、結局店員から何も言われずに済んで安堵したものだ。「でも台風のときってお客さんもいなくて、なんだか少し楽しかったわ」「うむうむ、町の様子もまるで変わっておったな。あちこちシャッターを閉じておったし……おおーー、わしにもその桃ジュースをくれるのか。んー、マリーはきっと良い嫁になるぞ」 紙パックからグラスに注いだ桃のジュースを手渡され、ウリドラは瞳を細めた。 雨をさっぱり洗い流し、そして桃のジュースを飲む。 とろりとした舌触り、喉を抜けてゆく清涼感とフルーツの甘みは甘露に尽きる。 何やら台風というものは、室内で過ごすだけでもワクワクするものらしい。そのような楽しみ方をウリドラは初めて知った。「んまーいっ。ふうむ、マリーも飲み物を熟知し始めておるのう。まさか毎日のように飲み比べているわけではあるまいな?」 ぴくっとマリーの肩は震えたものの、調理から振り返ることは無かった。とはいえ長耳は揺れ続けているし、恐らくは図星なのだろう。 もう一度、さわやかなジュースを口に含み、ウリドラは外を見る。窓ガラスに当たる雨足は、尚も威力を高め続けているらしく、ごう、ごう、と唸りをあげていた。 確かにこれは子供にとって怖いだろう。 しかし部屋でじっとしていても、それは怖いままで終わってしまう。そういう意味で北瀬は過保護だけれど、たぶん同じ時を過ごしていたなら、ウリドラと同じことをしていたのかもしれない。 ――そう考えると、わしも毒されてきたのう。 あれほど疲れていた子育ても、今では楽しみに変わりつつある。 こうして分体を2人の元へ送ることは減りつつあり、日々変化してゆく子の成長を楽しんでいるのを自覚していた。 しかし足を途絶えることも難しい。それはマリアーベルも北瀬も、我が子のように愛らしいと感じているからだ。ひょっとしたら、いずれは我が子らと遊ばせる日も来るのでは、と思う。そういう意味でも、あの第二階層広間の邸宅は理想的なのだ。 ――ふ、ふ、子は親に似るというが、まさか人化を最初に覚えるとはのう。 にまにまという笑みは、もう己では止められない。 まさか自分が親バカになる日が来るとは思わなかったが、なってしまったものは仕方ない。楽しく遊び、暮らし、そして成長を見守るとしよう。 そんなことを考えていると、ふわんと優しい匂いがしてきた。 何やら芋の焼ける匂いに近しく、恐らく先ほどからマリーの調理していたものだろう。しかしこの魅惑的な香りは……。 むくりとベッドから起き上がり、そして後ろから覗き込むと実に食欲をそそるものがあった。「あっ、いつまでバスタオル姿でいるの? はやく着替えないと映画もオヤツも取り上げますからね」「待て、待つのじゃ。すぐに着替えるから待っておれ!」 いやはや、さっきまで台風で怯えていたというのに……。 それ以上を言うと本当に取り上げられかねないので、びゅんと大またで駆け出した。