気持ちになる人もいるでしょう。
であるならば、大家族もの番組は、少子化に悩む日本において、「もっと産みたい」という気持ちを刺激す
るための多産プロパガンダの役割を果たしてもよかったはずです。しかし、
「渡津家を見て、私も子供をたくさん産みたくなりました」
「ビッグダディを見て、俺も子供をたくさん産ませたくなりました」
と言う人はあまりいないし、大家族もの番組流行の時代は、出生率が下がる時代でもありました。
大家族ものがなぜ、「家族への
あこが
憧れ」を
か
搔き立てなかったのかと考えると、出生率が一・三とか一・四とい
う今の時代においては、子供を十数人持つ人たちが「一風変わった人」に見えてしまったからなのでしょう。
芸能人などセレブ系子沢山の人々は、子供がたくさんいるとはいえ、さすがに二
けた
桁には届かない。そして経
済的にも豊かで、自分達のプライバシーも安易に開示しない。そんなわけで、「満ち足りた大家族」像は、世
に出ることがありません。
対して大家族もの番組の人々は、経済的に苦しそうなのにもかかわらず、十人を超えても、どんどん子供
が増えていく。番組においては、明るいナレーションでそのてんやわんやの様子を紹介し、最後は「やっぱり
家族が一番!」的にまとめようとするものの、そうまとめるには明らかに無理がある深刻なトラブルが発生する
こともしばしば。となれば、これから子産み世代となる若者達が、それを見て「いいなー」と思いづらいのは自
明です。
大家族もの番組では、家事には手がまわらないので家の中は乱雑なことが多く、障子や
ふすま
襖がぼろぼろだ
ったり、洗濯物の山の中から自分の靴下をほじくりだして
は
穿く、といったシーンは定番。昔はみんなそうだっ
た、という話もありましょうが、大家族もの番組には、リアルな生活苦の様子が克明に映し出されています。そ
れを見て、「子沢山もいいかもね」と思っても、それは一瞬のこと。その後すぐに、「私には無理」ということ
に。そして、
「うちの方がまだ余裕があるかも」
「うちの方がまだきれいかも」
と思うことによって、視聴者達は自身の現状に満足することになるのでした。
つまり大家族もの番組は、はからずも多産プロパガンダとは反対の役割を担ってしまっているのです。むし
ろ、大家族もの番組群によって、「子沢山=生活苦」「子沢山=大変」というイメージが世の中に流布。子供
をたくさん産む人というのは、生活苦も苦労も気にならない変わった人たちであり、どれほど子供を産んでも
満足しない過剰な人たちなのだ、という印象が浸透しました。
つまり今、子沢山の状況に
ちゆう
躊
ちよ
躇しない人たちのイメージは、「セレブか一風変わった人か」に二極化して
いるのです。財産の証明のように子供を増やすセレブか、多くの人には理解しにくい何らかの理由によって
子供を増やす人々か。いずれにせよ、多くの人々にとって子沢山とは、「我々とは関係の無い世界の出来
事」となってしまいました。
「子供がたくさんいるって、いいなぁ。私も欲しいなぁ」と若者達に思わせるには、子供が三人ほどいて、特に
お金持ちでも特に貧しいわけでもなく、明るく暮らす一家の実態を見せることなのだと思います。最近、きょう
だいの数が多い一家を舞台にしたドラマが増えてきている気がするのは、実はその手の役割を担っている
からかも。いずれにせよ、「極端な大家族」像から「普通の大家族」像に、大家族イメージを一度戻すことが