土曜日の昼間、私は若葉ちゃんにフォンダンショコラの作り方を習いに、お家にまたお邪魔させてもらうことになった。
「寒いねぇ!そろそろ雪が降るかもね!吉祥院さん、鼻の頭赤いよ。平気?」
「ええ。空が鉛色ですから、降るかもしれませんわねぇ」
今日も若葉ちゃんに駅まで迎えに来てもらった。
「高道さんも休日の予定があるのに、何度もごめんなさいね」
「全然平気ですよぉ。私の予定なんてバイトくらいだし!」
若葉ちゃんは休日のランチタイムのみ、ファミレスでバイトをしている。
「今日もバイトの帰りでしょう?帰りの支度を急かしてしまったのではないかしら」
「ううん。終わったらいつも着替えてすぐに帰るから気にしないで。吉祥院さんこそ忙しいんじゃない?」
「そんなことないけど…」
今のところ、休日の予定は隔週の習い事や耀美さんのお料理教室くらいだ。
耀美さんには雪野君のお誕生日パーティーの後すぐに電話をして、ちらし寿司が好評だったことを報告した。我が事のようにずっと心配してくれていたらしい耀美さんは、心底ホッとした様子で「良かった…」と言っていた。自分の手料理をあの円城家の皆様と、その招待客の名家のお子様方が食べるという上に、私の両親からの「娘の今後の評判は貴女次第」というプレッシャーが、相当重く背中に圧し掛かっていたようだ。本当に申し訳ない。厄介な生徒だと、料理を教えるのを辞退されたらどうしよう。見捨てないでください、耀美さん。
「高道さんも毎週バイトなんて、大変ね。お休みはないの?」
「試験前は休ませてもらってるよ」
「くれぐれも学院にバレないようになさってね」
「あぁ、そのことなんだけど。許可をもらったんだ!」
「許可?バイトの?」
「そう!前に吉祥院さんに校則でバイトは禁止されているはずって言われたでしょう?私はキッチンだし、そう簡単にバレることはないとは思うんだけど、万が一ってことがあるからね。それで一応水崎君に相談してみたんだ」
「水崎君に?」
「うん。こういうことは生徒会長に相談するのが一番だと思って。実はこっそりバイトをしているんだけどって話したの。そしたら、なにやってるんだお前は!ってめちゃくちゃ怒られちゃったよぉ。バレたら停学だぞ、特待生が停学になったらどうなるかわかっているのか!って。確かにそうだと猛省しました」
若葉ちゃんはガクッと頭を下げ、反省を表現した。
「それですぐに水崎君が学院側に許可を取る手続きをしてくれたんだ。定期代と学用品を買うためとかなんとかって名目で。奨学金をもらっているから、その言い訳が通じるかなって思ったんだけど大丈夫だった!」
「まぁ、それは良かったですわね」
「うん!水崎君には大感謝だよぉ!」
若葉ちゃんはそう言って、ニコニコ笑った。
どうやら同志当て馬に対する若葉ちゃんの好感度は高いようだ。そもそも相談をしている時点で信用しているってことだもんな。頼りがいのある同志当て馬と、厄介事しか持ってこない皇帝。鏑木、ピンチ。
「これでもし誰かに見つかったとしても大丈夫!吉祥院さんもありがとうね」
「私はなにもしていませんけど」
「ううん、吉祥院さんに言われなかったら気づかなかった。中学時代の友達も学校に隠れてバイトしている子が多いし、バイト先にも高校生が多いから、大丈夫だと思い込んでいたんだよね」
「そう。確かに高校生になったらバイトをしている人は多いですものね」
「うん、そうなの。あ、でも吉祥院さんが高校生のバイト事情を知ってるって驚き。瑞鸞の生徒達にはバイトをするって発想がまずなさそうなのに」
「あ~、まぁ…」
私も前世でいろいろバイトしてたからね。欲しい物がある時、親からもらうお小遣いだけじゃなかなか足りなかったりするし。
でも浮世離れした瑞鸞のお嬢様が、バイトをすることを当たり前のように受け止めるのは、やっぱり違和感があるか。普通は「まぁ!バイトというのはなんですの?」くらいのことを言いそうだもんね。
化けの皮が剥がれる前に、話題を変えよう。
「そういえばこの前、鏑木様が高道さんのケーキ屋さんに誕生日ケーキを依頼されませんでした?」
「うん、よく知ってるね。確かに注文があったよ。私はその日もバイトで2時過ぎにならないと帰ってこれなかったんだけど、バイトだっていうのを隠して2時半頃にならないと家にいないって話をしたら、じゃあその頃に取りに来るって言って」
あいつ!わざわざ若葉ちゃんが家にいる時間に合わせてケーキを取りに行ったから、遅刻したのか!完全に雪野君の誕生日を若葉ちゃんに会う口実に使ったな!だいたいケーキなんて鏑木なら本人が取りに行かなくても誰かに行かせればいいんだから。天使を自分の恋のだしに使うとは、なんてヤツだ。
「確か円城君の弟さんのバースデーケーキだったんだっけ?雪の付く名前だから雪だるまのスイスメレンゲを付けて欲しいって言われたよ」
「ええ。あの雪だるまはとっても可愛かったですわ」
「吉祥院さんもお誕生日会に行ったんだ?どうだった?円城君の弟さん、喜んでくれたかなぁ」
「雪だるまが可愛くて、なかなか食べられなかったようですわよ。ケーキ自体もおいしかったので子供達もみんな、すぐに食べてしまいましたわ」
「そっかぁ!良かった。実は少しだけ不安だったんだ。大金持ちの家の子達がおいしいと思ってくれるかどうか…」
へへっと若葉ちゃんが笑った。
「高道さんのお父様の作るケーキはおいしいんですから、もっと自信を持っていいと思いますわ」
「ありがとう!」
「…それと高道さん、円城様のことも君付けなんですわね?」
「あっ!」
若葉ちゃんがしまった!という顔をした。うん、スルーできなかったよ。ごめんね。
「え~っとぉ、円城君に鏑木君と呼んでいるのを聞かれて、だったら僕のことも円城君でいいよって言われて…」
「そうでしたの…。でも学院ではくれぐれも気を付けて」
「はい…」
鏑木に続き、円城とまで親しくしていると思われたら、若葉ちゃん本当に大変なことになるぞ。
そして円城がいつの間にか若葉ちゃんと親しくしていたことにも驚いた。
「今日は弟達が家にいるからうるさいかも。さ、入って!」
「お邪魔いたします」
若葉ちゃんが玄関を開けて元気な声で「ただいまー!」と言った。
「おかえりー!あっ、コロネも一緒だ!」
「お姉ちゃん、おかえり~。いらっしゃい、コロちゃん」
「おかえりー」
リビングに入ると、一番上の弟の寛太君と小学5年生の双子の兄妹が出迎えてくれた。
「こら!コロネじゃないでしょ!吉祥院さんでしょ!」
若葉ちゃんが慌てて弟達に訂正するが、どうやら私は高道家ではすっかりコロネというあだ名が定着しているようだ。これは私がいないところでは普通にコロネと呼んでいるな。
「ごめんね~、吉祥院さん」
「いえ、気にしていませんわ」
寛太君は若葉ちゃんに怒られても平気な顔で、「コロネ、今日は余計なことするなよ!」と私に釘を刺してきた。わかっていますとも。前回、寛太君にガンガン怒られたからね。
「寒かったよね、吉祥院さん。まずはあったかい飲み物でも飲もうか」
「どうもありがとう」
そこにお店を抜け出して、お母さんが現れた。
「いらっしゃい!コ…吉祥院さん」
「お邪魔しております」
私は立ちあがって挨拶をした。
「あらあら、相変わらず礼儀正しいわねぇ。さすがは瑞鸞のお嬢様だねぇ」
「“おほほのコロネ”だもんな」
「寛太――っ!」
寛太君は若葉ちゃんに思いっ切り拳骨で頭を殴られていた。
おほほのコロネ…。それはさすがに許容できないかも。若葉ちゃん、やっちゃって。
「あの、これ金平糖なんですが、よかったら」
「やだ!いつもどうもありがとう。いいのよ、気を使ってくれなくて。家なんか手土産持ってきてもらうような、大層な家じゃないんだから!」
「そうだよ、吉祥院さん。この前も言ったけど気を使ってくれなくていいから!逆に申し訳なくなっちゃうから!」
「いえ。これは家にあったものを持ってきただけですから。余りものを差し上げるようで失礼かと思いますが」
「そんなそんな!じゃあ、遠慮なくいただきますね。でも次回からは手ぶらでね」
「はい」
身に付いた習性か、どうも手ぶらだと訪問しづらいんだよねぇ。それでも今回のは、お正月の京都土産をそのまま持ってきた手抜きなんだけど。
「そうだ、吉祥院さん。お餅焼いてあげようか。ね!きなこ餅と揚げ餅。おいしいわよぉ。吉祥院さんはなにが好き?」
するとお母さんが突然そんなことを言い出した。
「お餅ですか?私は磯辺焼きが…」
「そう。じゃあそれも作ろう。実はね、お正月のお餅がたくさん残っているのよ。若葉もお昼まだでしょ。お餅食べなさい」
「はーい」
「僕達も食べるー!」
お母さんが子供達がキッチンに入った。
「高道さんのお家は角餅ですのね」
「うん。吉祥院さんの家は違うの?」
「いえ、私の家も角餅です。ただ母の実家が京都なので、そちらでは丸餅が出ますね」
「丸餅?コロネ、餅が丸いのか?」
「ええ。しかもお雑煮ではお餅は焼きません。煮るんです。そしておすましではなく白味噌仕立てです」
「え~っ!お雑煮っぽくない!」
「そうですわねぇ」
私も最初に京都で白味噌仕立てのお雑煮を出された時には、えっ?!って思ったよ。前世も東京だから透明なすまし汁に焼いた角餅のお雑煮だったし。お料理は奥が深いね。
「私もなにかお手伝いしますわ」
「別に座っててくれていいんだけど。でも好きなトッピングがあるもんね」
「トッピング?」
お餅のトッピングなんて磯辺ときなことおしるこぐらいじゃないの?
その時「俺はチーズ明太にする!」と寛太君が言った。
「チーズ明太?」
お餅にそんなバリエーションがあるのか?!
これは私のオリジナリティを出す、絶好の機会かも?!
「コロネはキッチンに来るな」
私は寛太君に相当信用されていないらしい。