赤ん坊という生き物にほとんど接触せずに生きてきたので、いきなり差し出されても困る、という心境だった
のでしょう。
どうやら「子供好き」の人達というのは、子供という生き物が全般的に好きらしいということにも、私は驚いて
いました。
あい
愛
きよう
嬌があろうとなかろうと、顔が可愛かろうと不細工だろうと、子供好きの善人の皆さんは、子供
を平等に
め
愛でている。
対して私はといえば、「可愛い子供」しか可愛いと思えませんでした。すなわち、外見や態度が愛らしく、向
こうから積極的にこちらに甘えてくるような子供は愛でても、そうでない子供には距離を置いていたのです。
二十代後半から三十代前半にかけて、私はそれまで仲が良かった友人と、次第に疎遠になっていきまし
た。子育てをしている人とは生活時間帯が違うため、互いに子ナシだった時代とは違って、そう簡単には会
えなくなるという理由が一つ。また子を産んだばかりの母親というのは、もちろん子育てのことで頭がいっぱい
ですから、「自分、およびその仕事」で頭がいっぱいの私とは、話も合わなくなってきたのです。
さらにもう一つ、疎遠になった理由があるとすれば、私の「子供が苦手」という性質なのだと思います。子供
好きであったら、友達の家に行って子供の相手をしながら、友情をさらに
はぐく
育んだはず。しかし私は、大人の
世界で大人の話をしている方が、うんと楽しかったのです。
しかし人生とは皮肉なもので、子供好きな人が子供を産み、子供が苦手な人が子供を産まないのかという
と、そうでもありません。私などは「子供が苦手で子供を産んでいない」という、比較的幸福なケースかと思わ
れますが、友人の中には、