「好きにするが良い」「養父様、フェルディナンド様のゲドゥルリーヒは……」「それももう知っている。研究所を三つも四つも建てることになったのであろう?」 フェルディナンドが楽しそうで何よりだ、と投げやりに言っているけれど、養父様は勘違いしている。本当はエーレンフェストに研究所が欲しかったのに却下されたから、仕方なくアーレンスバッハに研究所を得ようとしたのだ。「養父様、フェルディナンド様のゲドゥルリーヒはエーレンフェストですから、こちらに研究所を作っていつでも戻れるようにしてあげた方が……」「エーレンフェストに研究所を作るような余裕はない。フェルディナンドと約束しならば、其方が責任を持って建てろ。こちらは其方が完全に破壊したゲルラッハの夏の館の再建が先だ。フェルディナンドがギーベの館の礎もいじりまくったから最初から作り直せ、と言っていたぞ」 じろりと睨まれて、わたしは頭を抱えた。「あ、ああぁぁぁ! 大変申しわけございません! 後で金粉を作って届けます」「今の君が安請け合いするのではない」「あ……」ダンケルフェルガーの視線を気にしつつ、魔石にも触れぬだろう、という言葉を隠したフェルディナンドを見上げる。いくら魔力があっても魔石が怖ければ何もできない。今の自分がいかに役に立たないのか、思い知らされた気分でわたしは肩を落とした。「アーレンスバッハからエーレンフェストへの賠償という形で援助や融通をきかせるつもりだ。君とエーレンフェストの関係性が切れるわけではないから慌てて補償をする必要はなかろう」 急ぐ必要はない、とフェルディナンドが軽くわたしの肩を叩いた。「それに、君は私をエーレンフェストへ帰すことに固執しているようだが、私がいなくてもジルヴェスターはアウブとしてやっている。たまの里帰りが許されれば私は構わぬ」「たまの里帰りを許さぬほど私は狭量ではないぞ。其方の館は私が管理しておく」養父様とフェルディナンドの間ではいつの間にかフェルディナンドがアーレンスバッハに住むことで決定している。「フェルディナンド様、本当にアーレンスバッハで過ごすことになっても良いのですか? 自己犠牲とか我慢していませんか?」「しつこいぞ。私の選択の結果だ」「フェルディナンドが珍しく自分の幸せを最優先にした結果だそうだ。其方が余計な口出しをすることではない。研究所を三つも四つもねだられているのであろう? 十分な対価だ。フェルディナンドの好きにさせてやればよかろう」 養父様の言葉にわたしはぐっと拳を握った。自己犠牲ではなく、フェルディナンドが自分の幸せを追求した結果、アーレンスバッハを選ぶのならば良いのだ。「わかりました。わたくし、アウブ・アーレンスバッハとしてフェルディナンド様が研究に没頭できるような環境を準備します。絶対にフェルディナンド様を幸せにしますから安心してくださいませ、養父様」 わたしが決意表明したら、ぶはっと養父様が吹き出し、護衛騎士として付いているお父様も笑いそうなのを誤魔化すように何度も咳払いした。ハンネローレ達が「惜しい」とでも言いたそうな顔でこちらを見る中、フェルディナンドがわたしの肩をガシッとつかんだ。「ローゼマイン、君のやる気はわかった。もういいから黙りなさい」「フェルディナンド様、ちょっと耳が赤……」「黙りなさい」「はい」 わたしが黙らせられた時、転移陣の準備ができて境界門と連絡がついたとリヒャルダが呼びに来た。入室してきた側仕え達の中にオティーリエやグレーティアの姿もある。交代で出発準備をしていたレオノーレ達の姿も見えた。「文官達に皆の荷物を送らせ始めました。受け取りのためにも境界門へ移動してくださいませ」「わかった」 養父様はリヒャルダに頷くと、「転移陣へ向かうぞ」とバルコニーへ出て騎獣を出した。騎士の訓練場にある転移陣へ移動するらしい。すでに打ち合わせが終わっているのか、ダンケルフェルガーの皆も戸惑うことなく動いている。多分この中で一番わかっていないのがわたしだ。「フェルディナンド様、説明が足りないと思います。何をどうするのか、わたくしだけわかっていないのではありませんか?」「騎獣の上でする。早く来なさい」 騎獣に乗せられて、バルコニーを飛び出す。他の人には聞こえない程度の小さな声でフェルディナンドが簡潔に教えてくれた。わたしが魔石に触れられないことをあまり広げないように、レッサーバスを使わずに荷物を送る方法を考えてくれたらしい。「徴税した物を送る転移陣を使って、君達の荷物を境界門へ一旦送り、境界門からアーレンスバッハの城へ転移させることになった。境界門にはすでにオルドナンツが送られている。アーレンスバッハ側にも連絡はできているはずだ」「どうして嫁入りや婿入りの時は使わないのですか? とても便利ですのに」 フェルディナンドの大量の荷物をレッサーバスで運んだわたしが疑問を口にすると、わたしとフェルディナンドの立場の違いを教えられた。「他領から何が送られてくるのかわからないのは警備上困るので、普通は直接城へ荷物を送ることをアウブが許可しない。だが、今はアウブである君の荷物を君が自分の城に送るだけだ。警戒すべきことがない。……後は転移陣を動かすために魔力が必要になるからな。そう簡単に許可が出せぬ。今回の魔力は君持ちだ」 馬車を使う方が時間はかかるけれどコストは低いらしい。今回はすぐに必要な物だけを送るので、転移陣の方が良いそうだ。明日着る服が必要なのに、馬車で荷物を送るのでは間に合わない。「今回は一時的に滞在するだけだ。あちらの工房で聖典を作成し、アーレンスバッハの者達が領主会議へ参加できるように準備する。本格的な移動やアウブとして采配を振るうのは領主会議で承認されてからになる」 グルトリスハイトを作って、王族との交渉を行うのが最優先だそうだ。 騎士の訓練場には大きな転移陣があり、わたし達はそれでエーレンフェストとアーレンスバッハとの境界門へ転移した。魔石は怖いけれど、魔法陣に触れて魔力を流すことは別に怖くなかったことにわたしは胸を撫で下ろす。境界門にはアーレンスバッハとエーレンフェストの騎士達が揃っていて、荷物をエーレンフェストの転移陣からアーレンスバッハの転移陣へ移動させている。リーゼレータやグレーティアが中心になって、荷札の確認をしている。「ローゼマイン、この後は転移陣を何度も使うことになる。回復薬が必要ならば今のうちに使いなさい」 アーレンスバッハの城へ荷物を送り、ユストクスやリーゼレータ達側仕えとハルトムート達文官を城へ送る。フェルディナンドと護衛騎士を連れて境界門へ戻り、待たせておいたハンネローレ達ダンケルフェルガーとビンデバルトへ移動。そして、ビンデバルトからダンケルフェルガーとアーレンスバッハの境界門へダンケルフェルガーの有志達を送ることになるそうだ。「百人の騎士を送るのに何往復必要になるかわからぬ」「わたくし達は騎獣で移動しても良いと申し上げたのですけれど……」 ハンネローレが気遣うようにそう言ったけれど、フェルディナンドは首を横に振った。アーレンスバッハの街より南西の方角にダンケルフェルガーがある。ビンデバルトまでの移動に一日かかっているのに、これ以上の日数はかけられないそうだ。