そういうわけで、おねむになったマリーを抱え、しゃこしゃこと歯みがきをしてあげている。洗面台に映る少女は、半開きの口をしたまま、うつらうつらと船をこいでいた。たっぷりと食べ、そしてビールを楽しんだせいだろう。 小さな手で僕の腕をつかんでいるが、どうにもあやうい。今にもくにゃりと垂れてしまいそうだ。 ウサギ柄のパジャマ、それに半分ほど瞳を閉じた様子といい、どこか子供のようで可愛らしい。もう少し口をあけてとお願いすると、あんっと唇は開かれる。 しゃこ、しゃこ、しゃこ。 歯を磨いてゆく様子を、ウリドラは不思議そうに見つめていた。彼女はお酒に強いようで、僕以上にたっぷり飲んでも問題無いらしい。「相変わらず甲斐甲斐しいのう。わしの歯も磨いて欲しいと言ったらどうするのじゃ?」「え、もちろん磨いてあげるよ。困っているならだけど」 もちろん気恥ずかしいけれど、ただの歯磨きだからね。などと考えていたら、歯ブラシを咥えたままウリドラはブフッと吹き出した。そのままくつくつと笑い、磨くのを諦めたよう口をすすぎタオルで拭く。「いやはや、マリーもそうじゃがおぬしも相当なお子様じゃな。ふ、ふ、そのままたっぷり楽しむと良い」 ぽんぽんと僕の肩を叩き、そのまま彼女はベッドルームへと向かってゆく。しかし今のはどういう意味で言われたのだろう。取り残された僕はポカンとしたが、歯磨きを進めなければと少女へと顔を向ける。 と、そこでようやく気が付いた。 ぬめる唇は桜のように色づいており、そのなかへと歯ブラシは入り込んでいる。小さな舌、そしてこちらをゆっくりと見上げてくる瞳と交差し、その光景に心臓は跳ねた。 あ、これは……けっこう恥ずかしいかもしれない。 気が付けば、じっと目を合わせたまま少女の歯を磨いている。とろんとした薄紫色の瞳はゆっくり瞬きをし、宝石のように輝いていた。 きゅっと裾を握る少女の手は強まり、はああと色づいた唇は息を漏らす。華奢で小さな外見だというのに、ほんのりと染まる頬は大人のような色気を感じさせた。 どうやらウリドラの一言により、僕はマリーを意識してしまったらしい。とたんに歯ブラシはぎこちなくなり、しっかりと磨くまで長めの時間をかけてしまう事になる。 少女はコクリとコップの水を含み、そして洗面台へと吐き出す。タオルを持つと顔を近づけ、その唇を拭かせてくれた。 そのまま向き合うと、ごく自然に少女は抱きついてくる。 あ、これは……。 ふかりとした柔らかさ、そして女の子の匂いに頭はクラリとさせられてしまう。どくどくと鳴る心臓に少女は小首を傾げ、それでも顎を肩へと乗せてきた。 どうにか息を静めると両ひざを合わせてかかえ、反対側の手で背中を支える。ふわりと少女の身体が浮くと、すがりつくようマリーのすべすべな頬は押し付けられた。 そうして歩きかけたとき、少女はぽつりと耳元へ囁いてくる。「これね、好き……。ふわってするから……」 甘えるようなその声に、ようやく僕の心臓は静かになってくれた。信頼しきっている声であり、すうっと寝息を響かせたことに何故か安堵したのだ。 ダウンライトの灯りのなか、静かに少女をベッドへ横たわらせる。首を支えてやり、きしりとベッドは沈んだ。その向こう、奥側にはにまにまと笑うウリドラがいた。 布団へ寝そべり、覗く素肌は薄暗い中でも強調されている。元から肌が白いせいだろう。「なんじゃ、その目は。恨みがましい目をしおって」「え、そんな顔をしてたかな。ただ訂正しておくよ。ウリドラの歯を磨いてあげることは無さそうだ」 くつくつと竜は笑い、招くよう布団を持ち上げてくる。。少し驚かされたのは裸体ではなく薄いネグリジェを着ていたことだ。まあ、それだって刺激的な服装だと分かって欲しいけど。「なんだかんだ言ってマリーに甘いよね、ウリドラは」 そう言いながら隣へ潜り込むと、黒曜石じみた瞳は意表を突かれたよう開かれる。「あんなに嫌がっていたのに寝るときも服を着ているし、使い魔だって本当はマリーのために作ったんじゃないかな」「たわけ、甘いのはぬしら2人に、である。ふ、ふ、おぬしも十分に可愛らしいと知っておいた方が良いぞ」 などと言われ、つんっと鼻を押されてしまったよ。 この年になって可愛いと評価されるのは微妙な気持ちになるね。とはいえ、それを言うなら齢百歳であるエルフのほうが抵抗あるか。 反論を諦め、おとなしく横になると、彼女は自然と頭を乗せてくる。もう何度となく一緒に眠りについているので、こちらも少しだけズレて微調整を済ませた。 満足したのか、ふうと吐息を漏らすウリドラ、そしてのったりと脚を乗せてくるマリーに囁きかける。 おやすみなさい、2人とも。また夢の中でね。 ぐう、というマリーの返事に僕らは苦笑した。