「はい、申し訳ありません。体調を崩してしまいまして……はい、はい……」 深々と頭を下げ、それからピッと電話を切った。 幸いなことに急ぎの仕事は無かったので、部長は快く承諾してくれた。まあ、元気の無い声だったので、たぶん信じてくれたと思う。 くるりと振り返ると、マリーはどこか浮き浮きとした表情で、ウリドラはまだ眠いのか欠伸をし、そして……ああ、シャーリーは僕の背中にいるんだった。 戸惑い気味にマリーは唇を開いた。「それで、大丈夫なのかしら、会社をお休みして」「あんまり良くは無いけど、今日ばかりは仕方が無いかな。じゃあ折角の有給休暇を祝って食事にしようか、みんな」 そう言い、皆をテーブルに招く。 昨夜の野菜天ぷらも余っていたので、天丼風の味付けをして皿に並べている。それから温泉卵と海苔、そしてお味噌汁という手軽な組み合わせだ。 お休みが嬉しいのか「やった」と呟いてマリーは立ち上がり、それから軽い足取りで脇の下へ抱きついてきた。のしっと触れた身体は温かく、それから薄紫色の瞳を僕の背後……シャーリーへと向ける。「私たちの部屋へようこそ、シャーリー。んふ、あなたのおかげで得をしてしまったわ」 んー?とシャーリーは不思議そうに天井を見上げ、それから微笑み返す。言葉の意味は分からずとも、少女の楽しげな雰囲気を感じ取ったのかもしれない。 僕としても休日を喜んでもらえるのは素直に嬉しいね。 ぎこりと椅子を引き、それぞれに座る。 黒髪の女性、ウリドラも僕を覗き込みながら席についた。「先に言うておくが、その状態はいわゆる憑依されている状態じゃ。たいした害は無いが、体力を吸われるからこまめに栄養を取るのじゃぞ」「ああ、そういう状態なんだ。……といっても、憑依されたことなんて無いから、ぜんぜん理解できてないけどね」 まあ、それでも分かることはいくつかある。 ウリドラの言う通り疲れやすいこと、身体が重いこと、そして……。 いただきますの挨拶をし、ぱくりと甘だれの付いた野菜天を食すと、意外にも味がとても薄いことに気づいた。「あれ、薄いな。味付けを失敗したかな?」「そうかしら、私にはちょうど良いし、とても美味しいのに」 もくもくと頬張るマリーは、味に満足しているらしい。 みりんと醤油、そして砂糖の味付けをしたたれは、甘みが衣に絡んでご飯がとても進む。やはりウリドラは「くふうう、白米は堪らぬのうう!」と凄い勢いで食してゆく。 ――となると僕の味覚がおかしいのか? もぐりともう一口食べ、そこでようやく気づく。とくっ、とくっと僕のものとは異なる小鳥のような心音、そしてふわあっと胸から溢れる高揚感。 んん? まさかこれはひょっとして……。「うむ、味覚も共有しておるぞ。シャーリーが味わえば、そのぶんおぬしの味覚は薄くなる。しかし彼女の体力もつくので、身体はずっと楽になるはずじゃ」 ウリドラはお行儀悪くお箸をピッと向け、そう教えてくれた。 あ、そういう事か。どおりで味を感じられないと思ったよ。なるほど、その代わりに先ほどから感じているのは、シャーリーの「美味しい!」という感覚か。 ちらりと振り返ると、口元を肩に隠して上目遣いする彼女がいた。 申し訳なさそうな表情は、僕を気遣ってのものかな?「いやいや、せっかく日本に来たんだし、僕の分もたくさん味わって欲しいよ。さあ、どんどん食べようか」 ぱっと彼女は表情を明るくしてくれた。 言葉が通じずとも、彼女の表情はとても素直なので、何を考えているのかすぐに分かる。 食べるたびに、おいしい、おいしい、と胸の奥から感動に似たものが湧き上がり、お米粒ひとつでも丁寧に噛んでゆく。 このもちもちとした感触、それにたっぷりの甘みがたまらないらしい。 それから彼女は黄色い天ぷらをひとくち食べると、昇天するよう頬を赤くし、眉をハの字にさせていた。ほっくりとした触感といい、野菜独特の甘みといい、日本の伝統的な味付けをどうやら気に入ってくれたようだ。「ああ、これはかぼちゃって言うんだよ。野菜のひとつで、マリーと一緒に畑を作ろうかって話をしていたんだ」「そうそう、そうなの。このかぼちゃって、とても甘くて美味しいでしょう? だから、もし良ければシャーリーの森に植えられないかなって思っていたのよ」 もしも成功したら、かぼちゃを食べ放題になるからね。 たくさん収穫する時を思ってか、シャーリーからほわほわとした雰囲気が漂ってくる。そして握りこぶしを作り、こくっこくっと力強く頷いてくれた。 頬を赤くさせている様子といい、美味しいものを食べるとどこか子供っぽくなるのは不思議だね。 それと森の主から了承を受けたマリーも、ぱっと顔を明るくさせる。おかげで「やったあ」と両手をあげる可愛らしいエルフさんを眺めることができた。 上機嫌でルンルンと足を振り、それから僕に手を向けてくる。同じように手をあげると、ぱちんと良い音がリビングに響いた。「へえ、完全に憑依したら他の人にも見えないのか」「そうみたいね。ふうん、霊体というより私の精神体と同じ幽体なのかしら」 ひょこりと再びリビングへ現れたシャーリーは、知的好奇心の強いマリーにつんつん突つかれてしまった。まあ僕には霊体と幽体の違いなんて分からないけどね。 ともかく、姿を隠せるなら出掛けるという選択肢も出てくるわけだ。そういうわけで本日の遊び先を決めようか。 日本にはいくつもの娯楽があるけれど、今回はシャーリーの興味を示していた和風庭園が大きな候補だ。「みんなは庭園に行く予定だったよね。庭といえば和風のほかに洋風の本格ガーデンもあるけれど、どっちが良いかな」「よくテレビで見かけるガーデニングね。あれは春と秋が綺麗らしいわ」 皆の会話をシャーリーはきょときょと眺め、そして同時にわくわくとした感情を芽生えさせている。自然への関心が強い彼女は、新たな扉が目の前に現れたよう感じてるかもしれない。 ならば、これは是非とも彼女を楽しませないといけないね。「うーん、それじゃあ間を取って、和風と洋風の混じった館を見に行くというのはどうかな?」「ふむ! それは良い! しかし日本人はなにかと文化を混ぜて楽しみたがるのう」 ウリドラからの突っ込みは、甘んじて受けるしかないね。 まあ、ミーハーなんだよ日本人は。 和洋折衷をしたがるし、それがまた新たな文化を創ってしまうのは面白いところだけど。食もそうだし、西洋の服をアレンジして、あらたな流行を海外にもたらすのも日常茶飯事だ。 ずずっと日本茶をすすると、おいしい、と感情が漏れてくる。 うん、確かに食事をしたらだいぶ身体が楽になったな。これではズル休みかもしれないけれど、今回ばかりは深く考えることをやめようか。「それじゃあ着替えたら出発しよう。せっかくシャーリーが来たんだから、ゆっくり話せる車のほうが良さそうだね」「ええ、そうしましょ。コンビニでジュースを買って、それから音楽を聴きながら遊びに行くの。んふふ、平日なのに楽しみになってきたわ」 やあ、それは僕の台詞だよ。 たっぷりと皆で平日を過ごせるのなら、たまにはズル休みも……いやいや、さっきまで具合は悪かったんだからズルではないと思おうか。 そういうわけで僕らはお休みを満喫すべく、準備を開始することにした。 ただひとつ気がかりなのは、僕はどうやってトイレに行けば良いのか、という事だね。