子供と人形たちとの会話は自分の内なる世界との対話に他ならない。子供がそれらの"黙して語らぬお友達"を忘れてゆくのは、大きくなるにつれ脳がより強い刺激を求めるようになり、興味の対象が広がり、外の世界に目がいくようになるからである。そして、いつしか命のないモノはモノでしかなくなり、おざなりにされ忘れられてゆく。もちろん京都の子供だって、いつかはお人形さんごっこを卒業する。けれどその原理は対象を変え暮らしのなかで引き継がれてゆく。つまりそれらの小さな神々を敬うという行為は自分自身と語らうことであり、自己の深層心理を検証するシステムなのだ。