「あのね……」 耳打ちしようと背伸びしかけて、ふと四阿の外に目が移る。 新緑の庭の向こうに見える白い建物が聖堂だ。宮殿の大聖堂よりかなり小さいが、純白の壁が美しい。何かが引っかかってそちらを見ていたミレーユは、どきっとして目を瞠った。 「あっ……」 どうしてだろう、今まで気がつかなかった。この風景には見覚えがある──。 「どうしたんですか?」 不思議そうに顔をのぞきこんできたリヒャルトに、ミレーユは勢いよくしがみついた。 「あたし、この場面見たことあるの! 夢に出てきたのよ!」 「夢?」 驚きと興奮で頰を上気させながら、ミレーユは何度もうなずく。 「花嫁衣装を着てて、こんな四阿で寝てたの。そしたら今みたいにあなたが起こしにきて……それで二人で聖堂に行ったのよ。あの聖堂よ!」 「それは面白いですね。いつそんな夢を見たんですか?」 「……、オズワルドに、催眠術をかけられた時」 あやすようににこにこしていたリヒャルトが、笑みを消した。 あれはまだ真冬のころ。リヒャルトのためにとオズワルドと結婚式をあげようとしていた時だった。 「だけど、聖堂に入ったらいつの間にかオズワルドと一緒にいたの。そこに本物のあなたが飛び込んできて……走ってあなたのところに行きたいのに、よくわかんないけど行けなかったのよ。そしたら、あなたが叫んだの。必ず迎えにいくから、って」 自分でも不思議なくらいに鮮明に思い出せた。リヒャルトと離ればなれになって、彼に会いたくてたまらなかった時に見た夢だからだろうか。 「そこで目が覚めたんだけど、起きたら傍にオズワルドがいて……術をかけられたのよ」 リヒャルトのことを忘れてしまう催眠術だった。暗示にかかったミレーユは本当に彼のことを忘れてしまったのだ。今思い出しても嫌な感覚だ。 「なんだかあの時から夢が続いてるみたい。ううん、夢の続きを今見てるみたいだわ」 あれからいろんなことがあって、もう遠い昔のような気がしていた。過去と今がつながったのは、ひょっとして結婚の女神の悪戯だろうか。 そんなことを考えていたら、ふいに頰に触れられた。 それまで黙っていたリヒャルトは、ミレーユの顔を自分のほうに向かせると、やわらかく微笑んだ。 「夢の中で、あなたはずっと俺を待っていたんですね」 じっと見つめながら、心にしみいるような声で彼は言った。 「迎えにきましたよ。ミレーユ」 その言葉が届いた瞬間、どうしてだか泣き出しそうになってしまった。 彼はただミレーユの夢の話に合わせて言ってくれただけかもしれない。だがあの時の心細さや切なさがよみがえってきて、自然と目が潤んでくる。 「うん……。待ってたわ」 あれから何ヶ月も経つのに、その言葉が嬉しくて、答える声が震えた。 きっとこれから先も、たとえミレーユがどこへ行こうとも彼は必ず迎えにきてくれるのだろう。もう何度も約束してくれたように。 立ち上がっていたはずなのに、いつの間にかまた四阿のベンチに腰掛けていた。 柱の影や傍に立つ木々の緑陰が頭上に重なり、どこか秘密めいた雰囲気が生まれる。身をかがめてきたリヒャルトに押されるように、ミレーユは冷たい石の壁に背中を預けた。 「い……いいの? 婚約式の前に、こういうことして……」 素直に酔ってしまえばいいのにそれがまだ恥ずかしくて、つい照れ隠しに訊いてしまう。けれども彼には通用しなかったようだ。 「世間一般の婚約式は、こういうことをするんじゃないですか?」 「し、知らないわ。したことないもの、婚約式とか」 「じゃあちょうどいいですね。二人きりだし、今からやってみましょう」 え、と目を丸くした隙に、笑いをこぼしながら唇が重なってくる。けれども彼の唇はすぐに戯れの色を消した。 まるで久しく会わずにいた恋人とめぐりあえたような錯覚が押し寄せ、胸が詰まる。ずっと一緒にいたのに、どうしてこんなに切ないような気持ちになるのだろう。あの頃よりも、もっともっと彼のことが好きになっているからだろうか。 包み込むように抱きしめながら、唇を離したリヒャルトがミレーユの耳元にささやく。 「過去も今も未来も、どのあなたも全部、俺のものだ」 いいですよねと甘く念を押す声に、逆らえるはずもない。まるで魂を抜かれたかのように頭の中がぼうっとしてしまって、こくりとうなずくのが精一杯だった。 どこかで涼やかな音色が響いている。ぼんやり聞いていたミレーユはそれが何かに気づいてはっとした。 「リヒャルト、鐘が鳴ってる……」 あたふたともがきながら訴えたが、抱きしめる腕はびくともしない。 吐息とともに降ってきたのは悪戯めいた笑みだった。 「聞こえない」