秋とは何か。それは夕暮れを見て分かるかもしれない。 日は短くなり、ふと空気が冷たく変わったことに気づき、そして夏が過ぎたことを知る。 生命力に満ちた春。騒がしい夏。それを過ぎると世界はゆっくり静まってゆく。熱量を失ってゆく世界。動物や虫たちは冬に備えた準備をし、まるで置いていかれたような思いを人はする。それが秋という季節だ。 異なる世界から来たエルフもまた、江東区の散歩道を歩きながら、きゅっと胸を締め付けられているよう僕の目に映る。 繋がれていた手は、より強く少女から握られた。 しかしそれだけでは物悲しさを解消するのに足りなかったらしく、僕の腕を持ち上げ、そのまま脇の下へ抱きついてきた。宙ぶらりんになった僕の手は、反対側の彼女の腰へと誘導され、いつの間にやら抱き支える格好になった。「あら、これも悪くないわね。温かいし、支えられて少しだけ楽に歩けるわ。ふうん、身長差を考えると日本でしか楽しめない歩き方ね」 彼女は頭ひとつぶん小柄なので、腰を支える格好もそう変ではない。少女の手は反対側の僕のポッケへもぐりこみ、視界には熊耳のついた茶色いニット帽が現れる。これをかぶって半妖精エルフ族の秘密、人間には決して無い長耳を隠すらしい。 ただ、僕としてはほんの少し窮屈だ。 同行者である少女はマリアーベルと言い、マリーが愛称に当たる。ひょんなことから僕の夢から飛び出してきたけれど、それからというもの退屈だったはずの日常は様変わりをした。「ちょっと歩きづらいね。また新しい歩き方を開発したのかな、マリー?」「ええ、まずまずだわ。確かに窮屈で可哀想だけれど、あなたの歩きづらさと引き換えに私は温かい思いをするの。だから諦めて頂戴」 いやいや、可哀想だなんてとんでもない。のしりと柔らかく抱きつかれているのだから、こちらとしても嬉しい悲鳴と言ったほうが良い。 などと答える必要も無かったか。彼女はとっくに僕の楽しめることを知っており、その証拠に薄紫色の瞳を細めて愛らしく笑いかけてくる。これがまた、半年を一緒に過ごしていても見とれてしまうほどの破壊力だ。 綿毛のように明るい髪は、秋の風に揺れて輝くような光沢を生む。眠るときなどに触れてみると分かるが、しっとりとした質感があって肌触りはとても良い。 まるで妖精のようだと思うのも、エルフなのだからさほど間違いではない。透き通るように白い肌、紫水晶じみた瞳、そして唇から漏れる言葉はうっとりするくらい耳に心地良い。 それでいていつでも好意を注がれているのだから、僕のようなサラリーマンなど呆気なくやられてしまう。今ではもう、僕の視線はいつでも少女を追ってしまうほどだ。 週末最後の日曜日、マリーが選んだのは襟付きシャツの上に明るいニット、それにひらひらとしたチョコレート色のスカートだった。自然色が多いのは彼女の好みか、はたまたエルフという由縁のせいかは分からない。たぶんその両方かな、と思う。 河川敷の小道には川のせせらぎが聞こえてくる。 そのぶん空気の冷たさをエルフは覚え、抱きついてきたのかもしれない。「今年は少し寒いのかな。夏が終わったと思ったら、ぐんぐん気温が落ちてゆく」「ふうん、日本で過ごすのは初めての年だから分からないわ。来年にはきっと同じ会話ができるでしょうけれど」 あ、その言葉は素直に嬉しい。来年も隣にいてくれるのだと、少女ははっきりと伝えてくれた。本当は「ずっと一緒にいて欲しい」と願うけれど、気のせいかそう言わずともマリーは願いを叶えてくれそうな気がする。 それにしても温かい。ぴったりと触れ合っているので、先ほどまでの肌寒さはすっかりと消え、ついでに物悲しい想いさえ消えてしまったように思う。「今年の夏は特に騒がしかったでしょう? そのぶん寂しく感じるのかもしれないわ」「どうしても夏は賑やかになるよね。ただプールも海も、僕にとってはだいぶ久しぶりだったかな。というより、マリーが来てからはずっと騒々しい気もする」 どういう意味かしら?とニット帽の下にある瞳から見上げられた。 その瞳も楽しげで、たぶん彼女も同じ想いをしているように思う。エルフという長い人生においてもまた、この半年は今までに無いほど賑やかであり、だからこそ日々の変化を楽しめている。 その変化には、彼女との正式な交際が始まったことも含む。 どこか臆病なところがある僕は、勇気を振り絞って告白をしたものだ。結果、極めて幸いなことに彼女はイエスと答えてくれ、以前よりも親密なお付き合いを許された。 そのように思い返していると、少女の瞳は僕から秋の空へと移る。夕暮れ時の空は色彩が褪せ、どこか寒々しく見えた。「それで、日本の秋は物悲しいものなのかしら? 向こうの魔術師ギルドでは、今ごろ薪の準備で大忙しよ。それが終わったら今度は食料も貯めないといけないから、情緒を感じる暇もないの」「どうなのかな。こっちでも秋といえばスポーツ、食欲、読書、それに睡眠――は、いつも困らないか――に向いていると言われている。大人になった今は忙しくないし、過ごしやすい時期だと思うかな」 大人になった今は、という前置きに少女は小首を傾げてきた。なので僕は図書館の貸し出し袋を持ち直し、それから川べりをゆっくり歩きながらマリーへと説明をした。 子供のころ過ごしてきた青森は、まさに林檎の収穫期だ。 この時期には大抵アルバイトをしており、あのずっしりと重い林檎の山を運んでいた。雨の日も風の日も、朝から夕方まで休まず働かされるのだから、かなりきつい仕事だと思う。「青森では果物への思い入れというか管理が異常でね。ええと、例えば林檎の赤い部分、あれは日に当たらないと赤くならないから、ひとつひとつ向きを変えたり、傷つかないようクッションを置いたりしていて、かぶせる袋も何度となく改良を……あれ、どうしたのその表情?」「職人技に呆れていたところよ。ようやく分かったわ、向こうの果物との味に、雲泥の差がある理由を」 まあねえ、向こうでは基本的に放置だものねぇ。 要は努力の差、あるいは愛情の差なのは分かっている。しかし、同じ事をしろと言われても出来るわけがない。 当時の僕でさえ重労働に音を上げていたし、あれだけの甘い香りに包まれて「しばらく林檎は食べたくない」と考えていたほどだ。「けど不思議だな、この年になって秋を迎えると林檎が恋しい」「私も青森が恋しいわ。見渡す限りの畑や果樹園、少し車に乗っただけで素敵なお城があるなんて。それに夜がとても静かで素敵だったわ」「秋の情緒を感じたいなら、都内よりも青森だろうね。そうそう、まだ先のことだけど冬の情緒もまた格別で、雪景色の温泉、スキー、それに年越しはなかなか賑やかだよ。年始も初詣があるし……ん、そう考えると日本はいつでも賑やかなのかもしれない」 秋と同じように冬は寂しい時期ではある。けれど、それ以上にイベントが多い。そのような風物詩にも瞳を輝かせ、楽しみでたまらない表情をするのがマリーでもある。 我が家のエルフさんは森育ちのせいかややミーハーで、おかげで日本の暮らしをたっぷり楽しんでいる。ついでに僕もまた、日本の良さを再発見するような日々を送っているわけだ。「あら、エルフは大体そんなものよ。楽しそうな声がすると長耳をそばだてて、気になって気になって仕方がないの。だから私のように、駄目だと言われてもエルフの森から出てしまう者が後を絶たないのよ」「それじゃあ騒がしいものが大好きなエルフさんを、冬の青森に招待したいと言ったら……喜んでくれるかい?」 そう伝えると、しばしの間を置いて、ぽすんと少女は顔を押し付けてくる。脇の下は温かく、そのままコクコク頷かれると、くすぐったいやら何やらで僕まで物悲しい秋というものを忘れてしまいそうだ。 再び顔をあげた少女は、先ほどよりもずっと嬉しそうな表情をしていた。「んふふ、嬉しいわ。おじいさまが林檎を送って下さったでしょう? 部屋には甘酸っぱい香りがして、ずっと気になっていたの。それに日本の年末だなんて、何が起きるか想像もできなくて楽しみだわ」「じゃあそうしようか。前に旅費をもらっていたし、今までも年末に帰って来いと言われていたからね。うん、これでようやくまともに帰省できるな」 どうしても会社勤めをしていると、年末年始はバタバタしてしまい帰省どころではない。疲れた身体をのんびり休ませたいし、申し訳無いと思いながらもついつい断っていた。 しかしエルフさんと年末をゆっくり田舎で過ごすというのは、なぜか僕まで楽しみだと思う。コタツにお餅、それに初詣という過ごし方を教えたらきっと喜ぶだろう。さらには全身が埋まってしまいそうな雪を見たら、きっと目を丸くするんじゃないかな。 さて、そんな日本通でミーハーなエルフさんだけど、今度は違うものに興味を惹かれてしまう。ぱっと僕から身を離し、それから木陰の向こうへ薄紫色の瞳を向ける。 現れたのはまだ若い猫であり、すっかり顔見知りになった虎柄の子も、目を線にして欠伸をしながら寄ってくる。「まあ、あなたも冬の準備をしていたの? まったく、お腹をこんな真ん丸に膨らませて。私に触らせなさい、どれくらいヌクヌクなのかを調べてあげるわ」 やめろー、と猫は転がりながら両手をバンザイするけれど、楽しんでいるとしか僕には思えない。笑うようにして「にゅいーっ」と声を上げると少女の頬はだらしなく緩んだ。 毛が生え変わるのはこの時期で、冬に向かうにつれて猫や犬は丸みを増す。そのせいで、かしかし掻かれるのが気持ち良いらしく、ぱかっと口を開けたまま良いようにされていた。「見て、一廣さん。こんなに毛が抜けてゆくわ」「長い毛に生え変わって、暖かく過ごそうとしているんだね。どれ、身体も少し大きくなったかな」 ぐにゃぐにゃにされている猫だ。手足を伸ばしても慌てる事はなく、もっと撫でろと鳴いてくる。春に見かけた時より一回り大きくなり、きっと毛が抜けて気持ちよいのだろう。「まだ早いけれど、来週末はマリーの服も買っておこうか。マフラーとか上に着るものもあったほうが良いと思う」「ええっ、このあいだ買ったばかりでしょう。あなたもいい加減、過保護から卒業してくれないかしら。私のほうがずっと年上なのよ、カズヒホちゃん」 ぺたりと指先で鼻に触れられたけれど、それもまた不思議なことに子供のようで可愛らしい。くすぐったい思いをし、僕の口元まで緩んでしまう。「ほら、日中は暖かいけど夕方は肌寒いんじゃないかな。そう考えると洋服を備えておくのも大事だと思うよ、マリーお姉さん」「あっ、そっ、そうね、ええ、確かにそうかもしれないわ……それで、もう一度お姉さんと呼んでくれないかしら?」 あれ、子猫とエルフから、じいっと見つめられているぞ。 それにしても「お姉さん」という言葉を喜ぶなんて、どういう所がツボなのか分からないものだ。しかし、ふっくらと艶のある唇から「はやく」と無言で命じられると、こちらとしても喜ばせてあげたくなる。「ええと、マリーお姉さん、どうしていつも大人っぽいのかな?」「ふふ、分かってしまうのね。いいかしら、あなたにはまだ理解できないでしょうけど、自然と全身から大人っぽさがにじみ出てしまうのよ」 うん、猫の手をぴこぴこ動かしながら説明をしてくれるけど、しっかり可愛い気配がにじみ出ているね。そのまま続けてくれて構わないよ。「ふふ、あなたも大人っぽくなりたいなら、第一に好き嫌いをしないこと。ピーマンは確かに苦いけれど、あれを我慢しないといけないわ。それとお野菜もしっかり食べること」「……それ、全部マリーのことじゃないの?」「お黙りなさい、カズヒホ。マリーお姉ちゃんの言うことを