長い長い旅路
目が覚めると、白い天井が見えた。
「また、神の間か」
「あっ、気が付いたのですね! 良かったー、もう一週間も気を失っていたから心配したのですよ!」
「主様、だから言ったじゃないですか。土屋は頑丈だから心配ないって」
耳元から響いてくる涙声はロッディか。
俺はベッドで寝かされているみたいだな。俺の看病をしてくれていたらしいロッディが木製の椅子に座っている。その脚の上にはキマイラがちょこんと座り、主を見上げている。
「あれから、一週間も経ったのか。フォールはどうなった?」
「ダメージの大きさと破魔の糸のおかげで、意識も能力も完全に封印された状態です。今、最下層の装置に縛り付けて、闇の魔力を微量に放出しています」
「放出?」
「はい。今まではその装置を使って負の感情を闇の魔力として吸収していたのですが、ちょっと機能を弄りまして、逆に闇の魔力を負の感情として放出するようにしました。兄の中に溜め込まれた膨大な闇の魔力を少しずつ放出することにより、兄の中にある闇の魔力は失われる筈です」
「そうなると……地上に住む町の住人たちに悪影響を与えることにならないか」
今までは、負の感情を吸い取っていたから町の住民は皆穏やかで、争いも少なかった。これからは負の感情を吸い取るどころか放出し続けるとなると、町が荒れるのは確実だろう。
「そうですね。今まで通りの平和な町というわけにはいかないと思います。ですが、あの町は歪でした。誰もが持つ負の感情を不自然な形で消され、人工的に作られた平和。本来人間は、怒りも悲しみもあって然るべきだと思うのです」
そうだな。俺があの町を好きになれなかった理由がそれだ。
平和は悪いことではない。だが、それは自分たちで手に入れるものであって、人に操作されるべきじゃない。感情は自分だけのものだ。
「できるだけ、町の人に影響を与えないように微量の放出で留めておきます。何百、何千年かかるかはわかりませんが、私は成し遂げてみせます」
彼女の目は真剣そのものだった。強い意思が見て取れる。
俺と同じくロッディもまた、長い長い戦いを決意したのか。
「そうか。話は変わるけど、あの後どうなったのか……権蔵やサウワ、ショミミの遺体はどうしたのか教えてくれるかい」
この部屋は白で統一された個室で、俺とロッディ、キマイラ以外誰もいない。
「はい。フォールが能力を封印されたことにより、この研究所の管理者権限が私にも戻ったので、急遽最下層のこの部屋に土屋さんを運びました。御三方の遺体なのですが……ショミミさんの遺体は埋葬させていただいたのですが……それが、ええと……」
何かあったのだろうか。目を伏せ、胸の前で組んだ指を忙しなく動かしているな。
キマイラの心配そうな表情の顔が三つ、俺とロッディの間で右往左往している。
「あ、あの、権蔵さんとサウワさんの遺体はあの後、消え去っていて、何度も探したのですが見当たらないのです! 申し訳ありません!」
ベッドの蒲団に頭を叩きつけるロッディを眺めながら、俺は冷静だった。
たぶん、死を司る神が回収したのだろう。生前の体で復活させるとか言っていたからな。
「ああ、いいよ。何となく理由は想像つくから」
言葉の意味が理解できないのだろう。四つの頭が不思議そうに小首を傾げている。
ロッディの心配そうな表情の意味は、仲間を失った俺を気遣ってのことだろう。少し、戸惑っているように見えるのは、俺が悲しむ様子もなく平常心に見えるから。
精神力を特化させた副作用の効果で、今の俺に哀しみはあまりない。
それに、二人ともう一度会えるという希望があるから――平常心を装える。
後悔も未練も、たぶん死んだ皆より俺の方が強い。
だが、俺はまだ生きている。やるべきこともある。
「大丈夫だ」
自分自身に言い聞かせるように、気持ちを込めて放った呟きだが、それを聞いたロッディは心底安心したようだ。大きく息を吐き、目が覚めてから初めて笑顔を見せてくれた。
「不思議ですね。土屋さんが大丈夫といっただけで、本当に大丈夫な気がしてきました!」
「うんうん、ボクもそうだよ!」
キマイラも嬉しそうに満面の笑みを浮かべている。
楽しそうにはしゃぐ二人を眺めながら……顔を冷汗が流れていく。
さっきまでの暗い空気が一変したのはいいが、これって神声の効果だよな。
さすがに、この状況下において屈託のない笑顔を見せて、楽しそうに振舞ったりはしないだろう。ロッディは空気の読めない人ではない。
それが、今、一人と一匹は心から大丈夫だと安心しているようで、全く関係のない雑談を始めている。
これからは、話す時にはもっと気を使わないといけないな。
精神力が人より高い魔族のロッディでもこの効果だ。一般市民に使ったら……想像するだけで恐ろしい。
はしゃぐ二人を眺めながら、俺はもう一度ベッドに横たわった。
目が覚めたばかりだというのに、全身が気怠い。
たぶん、これは神声を使ったことによる精神力の消耗だな。
「もう少し、眠らせてもらうよ」
そう伝えると、二人は俺へ向き直り、今度は真剣な表情を浮かべ大きく頷いた。
あ、今も精神力が減ったのが自覚できた。
精神力が激減したことにより、心が軋みを上げる。今になって感情が津波となって押し寄せてくる。助けられなかった人々の顔が頭に次々と浮かんでいく。
すまない、ショミミ。キミを救うことが俺にはできない。贄の島に眠る皆、ごめん。結局俺はキミたちに何もしてあげられない。
感情の波に取り込まれそうになるが、そんなものに負けるわけにはいかない。俺は生き延びたのだから。情けなくても汚くても、生きなければならない。
過去ばかりを振り返るな。今は前に、前に、未来を見つめ成すべきことを見極めるんだ。
目が覚めたらまず取り掛かるのは……制御不能の能力か……暫くは……神声……に慣れる……ことから始めるか。
あまりにも大きな力に翻弄されながら、静かに再び眠りについた。