急に呑気な声がして、セシリアは我に返った。無意識に考え事に没頭していたらしい。 目をやれば、伯爵がにこっと笑いかけてくる。好きになって、と言われたことを思いだし、セシリアは慌てて横を向いた。しかし伯爵はめげた様子など微塵もなく、少し間を置いてまた話しかけてきた。 「王宮を出て行かれたのは、侯爵夫人たちのことが原因ですか?」 どきり、と胸が大きく鳴る。なんでもないような口調で突然切り出されたものだから、咄嗟に繕えなかった。 「彼女たちが二度と白百合の宮に来ないとわかったら、王宮に戻ってくださいますか?」 「……」 「ひょっとして、他にも何かお嫌なことがありました?」 次々と質問され、セシリアはうつむいて黙り込む。リヒャルトや侍女たちはその件については一度も触れなかった。だから安心していられたのに、伯爵はずけずけと言葉に出して追及してくる。そのせいで、忘れていたことを思い出してしまった。 (やっぱり、無神経だわ……) 怒る気力すら出てこない。油断したら代わりに涙が出てしまいそうだったので、ぎゅっと唇を嚙んで堪える。 すると、膝をつかんでいた手にそっと手が重なってきた。驚いて顔をあげると、伯爵が微笑んで見ていた。 「ご安心を、殿下。ここに来る前、彼女たちに話をつけました。陛下に言いつけてたっぷりお説教していただきましたよ。もう絶対に白百合の宮には足を踏み入れないそうです。ついでに反省文も書いてもらいました。ま、読みたくはないでしょうけど」 意外な展開に目を見開くセシリアに、彼は軽くうなずいた。 「ですから、戻ってきてくださいませんか。もう殿下に意地悪をする人は誰もいなくなりましたから」 「……」 言われた事実を自分の中でかみしめ、セシリアは帳面を開く。なんとか片手で用意をしてペンを走らせた。 『そんなことをしたらだめよ。あなたがあの人たちに嫌われてしまうわ』 彼女たちは皆、伯爵の信奉者だ。王女を庇って彼女たちを敵に回すなんて信じられない。彼女らといつも楽しそうに戯れていた彼なのに──。 そんな思いで焦りながらセシリアは帳面を見せる。すると、文面を見た伯爵は少し怪訝な顔をし、軽く笑って首をかしげた。 「だから?」 (だ……だから?) 予想外の返事に、目をぱちくりさせる。だが続いた言葉にはさらに驚いた。 「殿下の名誉を汚してまで彼女たちの機嫌を取りたいとでも? ぼくは基本的に来る者は拒まずで女の子はみんな好きですが、彼女たちのような勘違いやさんはお断りです」 そう言って伯爵は、珍しく苦笑するような笑みをした。 「何をそんなにびっくりしていらっしゃるんですか? こっちのほうがびっくりしましたよ。アルテマリスにおいて殿下より尊い身分にあられる女性は、王太后さまと王妃さま、そして殿下のお母様をはじめとしたお妃様方だけなんですよ。それを忘れてるようなお間抜けさんたちは宮廷にいなくてもいいんじゃないかなあって、ちらっと陛下に申し上げただけです。──ひょっとして、殿下も忘れていらっしゃいました?」 目を丸くするセシリアを、伯爵は笑って見つめる。 「だったら、もう二度と忘れないでくださいね。ぼくやリヒャルト──あなたの傍付きの騎士にとっては、誰よりもあなたが一番尊い、敬愛をささげる対象なんです。あなたはいつだってひとりぼっちじゃないんですから」 「……」 そんなふうに優しい言葉をかけられたのは初めてで、セシリアはぽかんとしてしまった。