鏑木は浮かれていた。
参考書と問題集をプレゼントして以来、若葉ちゃんと問題でわからないところをふたりで話し合ったりしているらしい。
「問題集をお互いどこまで進んだか、競争したりしてるんだ」
夢のないプレゼントだって言ってたくせに。「あいつ負けず嫌いだからさぁ」って、余裕ぶってお茶を飲む口元がにやけているぞ、鏑木。
「切磋琢磨でよろしゅうございました」
どうだ、この私の的確なアドバイスは。同じ問題集をやることによって、共通の話題も増えたであろう。さすが、私だ。
「わからない問題は、メールや電話で教え合っている」
「アドレスをご存じだったのですか?!」
いつの間に?!
「あぁ。夏に事故があって、その時にな」
「そうでしたか…」
まさか私の時のように、返信がないと5分おきに攻撃を仕掛けているんじゃないだろうな。あれは最悪だぞ。そして怖いんだぞ。
「…あまり頻繁にメールを送ると迷惑になるかもしれませんので、ほどほどに」
「わかっている。俺だって節度くらい弁えている」
自信たっぷりに言ってるけど、鏑木の言う節度というものの尺度が全く信用できないのですが。
「本当ですか?しつこい男性は嫌われますからね」
「あぁ」
「メールの返信がないからといって、何度も催促してはいけませんからね?」
「お前こそしつこい!俺をなんだと思ってるんだ!」
ストーカー予備軍だと思っていますが?
鏑木が不機嫌そうに顔を逸らしたので、今日はこれくらいで勘弁してやろう。肝に銘じなさい。私はハイビスカスティーを一口飲んだ。ほんのり甘酸っぱくておいしい。
「…今度、一緒に図書館に行くだろ?」
不機嫌から復活した鏑木が、会話を再開した。
「ええ、そんなことを言っていましたわね」
「今度こそ、食事に誘おうと思ってるんだが…」
この前は確か青山のフレンチに連れて行こうとしたんだったか。
「あまり敷居の高すぎるお店は避けてくださいね」
「敷居が高いって、どれくらいのレベルを言うんだよ」
「そうですねぇ。まずフレンチのディナーは敷居が高いですわね。イタリアンならリストランテではなくトラットリアで。そして照明の明るいお店でしょうか」
「難しいな。そこまで限定するか?」
どこが難しいんだ。いったいいつもどんなお店に通っているんだ。
「高道とは前にも食事に行ったことがあるけど、そんなに気にした様子はなかったぞ」
「えっ?!いつですか?!」
「夏だ」
またか!
「ディナーですか?」
「いや、その時はランチだ。病院に行った帰りに寄った」
「ああ…」
若葉ちゃんの通院に、毎回付き添って行ってたんだっけ。
「ちなみにどちらに行かれたのですか?」
鏑木が名前を挙げたお店は、オーガニックにこだわった隠れ家フレンチレストランだった。あのお店かぁ。
「優理絵が好きな店なんだ」
「優理絵様が好きなお店…」
ふぅ~ん…。
「で、その時もいきなり誘ったのですか?」
「え?あぁ。診察が終わってちょうど昼だったから、食事でもして帰ろうって言って、連れて行った。あの店は急に予約しても席を用意してくれるからな」
私が前回言ったことを思い出したのか、鏑木は若干気まずそうな顔をした。
「でも別にあいつ変な恰好はしていなかったぞ!料理もおいしそうに食べていたし!それにあの店はフレンチといってわりとカジュアルだし!」
鏑木が私に言い訳をするように言い募った。声が大きい。周りに聞こえたらどうする。静かにっ。
「カジュアルねぇ…」
まぁ、ランチならまだ平気か…。あのお店はそこまで敷居は高くないし、若葉ちゃんも鏑木に送迎してもらうのにあまりにラフすぎる服装はしていなかっただろうから。
「まぁ、いいでしょう…。でも鏑木様はフレンチがお好きなのですか?前も高道さんを青山のフレンチに誘おうとしていましたし」
「あぁ、いや俺は特別好きなわけじゃないけど、フレンチは優理絵が好きだから」
鏑木はなんのためらいもなくそう言った。このバカ…。
「鏑木様…」
「あ?」
私は鏑木の真正面に体をずらした。
「あのですねぇ、鏑木様。優理絵様をすべての基準で考えるのはやめてください」
「は?」
鏑木は言ってる意味がわからないという顔をした。気づけよ…。
「優理絵様が喜んだプレゼント、優理絵様が好きなレストラン、優理絵様が好きな料理、鏑木様はなんでも基準が優理絵様。優理絵様が喜んだんだから高道さんも喜ぶだろうと。でも鏑木様の好きな子は高道さんでしょう?だったら高道さんが喜ぶプレゼント、高道さんが好きな食べ物を考えてあげるべきではないのですか?」
「それは…」
「確かに優理絵様なら、突然フレンチのディナーに連れて行かれても動じないファッションも場慣れもしているでしょう。だから鏑木様は気づかず同じことを高道さんにもしたんですよね?でも彼女は違いますよ。普通の高校生はフレンチレストランに頻繁に出入りしたりしていません」
私は鏑木の目を見据えた。
「貴方はいったい誰を見ているんですか」
鏑木は目を見開いた。
…そりゃあ物心つくころから一番近くにいた女の子が優理絵様で、しかもずっと片思いしていた相手でもあったから、擦り込まれているのはしょうがないけどさー。鏑木はほかの女の子は寄せ付けなかったし…。でも優理絵様の趣味嗜好を基準にすべてを考えられちゃうのはね~。それをやられる若葉ちゃんが可哀想だ。
鏑木は下を向いて黙りこくってしまった。
あ、ショック受けてる?落ち込んじゃった?まずい、きつく言いすぎたか…。どうしよう。鏑木、実は打たれ弱い?
「あ、えっとぉ、でも鏑木様は良かれと思ってやったんですよね?うん、わかります」
「……」
「あっ、そうそう!あのメープルシロップは良かったですわよ?それにテディベアのプレゼントも良かったと思いますわ。うん」
小心な私が慌ててフォローしまくると、下を向いた鏑木がボソッとなにかを言った。
「え?なんですか?」
「……メープルシロップは秀介の薦めだし、テディベアは……昔から優理絵が好きなんだ」
「うわぁ…」
フォローどころか、傷口に塩を塗りこんでしまった…。あ~、鏑木の頭がどんどん下がる~。
そうだ!こういう時は、鏑木を一番理解している親友にフォローしてもらおう!親友は…、今日も来ていないか!使えないっ!
私は隣の人を見ないように前を向き、ひたすらハイビスカスティーを無言で飲んだ。
その状態でしばらく経った頃、鏑木が上を向いた気配がした。
「…わかった」
うん?なにがわかった?
「少し考えてみる。明日もう一度話し合おう」
鏑木はそう言って立ち上がった。あ、帰るのね?でも…。
「申し訳ないですけど、明日は私、用事がありますのでサロンには来られませんの」
ごめん…。でも明日は麻央ちゃんのお誕生日パーティーに招待されているんだよ~。
わっ、そんな非難がましい目で見ないで~。お菓子持って帰れば?ね、好きでしょお菓子。え、いらない?あ、そう。
「麗華お姉様、ようこそ!」
「ごきげんよう、麻央ちゃん。お誕生日おめでとう」
今日の麻央ちゃんは真っ白いドレスを着ていて、蝶ネクタイをした悠理君が隣に立つと、まるで小さな新郎新婦みたい!
「そのドレス、とっても可愛いわ、麻央ちゃん。このブーケを持ったら本当にお嫁さんみたいよ?」
そう言って持参したブーケを麻央ちゃんに手渡すと、麻央ちゃんは悠理君と目を見合わせて、嬉しそうにはにかんだ。いいねぇ、いいねぇ、春だねぇ。
高等科よりも早く終わる初等科の子供達は、すでにパーティーを始めていた。すっかり顔見知りになったプティの子達が口々に挨拶をしてくれる。可愛い~、和む~。癒される~。
だって今日一日、いつ鏑木に呼び出されるかドキドキしていたんだもん。なにも言ってこなかったし、傍目から見たら様子もいつも通りだったからとりあえずホッとしたけど。
「麗華お姉様、学校が終わってそのまま来てくれたんですか?」
「ええ。制服のままでごめんなさいね」
「ううん。来てくれて凄く嬉しいです」
私は麻央ちゃんの隣に座って、誕生日プレゼントを渡した。プレゼントはスワロフスキーのペンダントだ。若葉ちゃんの妹もそうだけど、女の子はキラキラしたものが好きだからね。麻央ちゃんは伊万里様に買ってもらったガラスの髪飾りもかなり気に入っていたし、どうだろう?
「わぁ、可愛い!ありがとうございます!付けてみてもいいですか?」
「どうぞ」
気に入ってくれて良かった!
麻央ちゃんはペンダントを付けると、隣の悠理君に「どぉ?」と聞き、それに対し悠理君は「似合ってるよ、麻央」と笑った。
あぁ、鏑木は小学生の悠理君にすら恋愛スキルで負けている気がする…。
私はプレゼントのお礼を言いに来た麻央ちゃんのお母様に勧められ、お料理に手を付けた。今日のお料理も麻央ちゃんのお母様が大半を作ったそうだ。さすがだな~。チキンのトマト煮おいしいっ!
「本当は耀美さんにも来て欲しかったのですけど、まだ会ったばかりなのに誘ったらご迷惑になるかと思って、今回は遠慮したんです」
「まぁ、そうなの」
麻央ちゃんは春休みに私の家で開かれた耀美さんのお料理教室以来、耀美さんをすっかり気に入ったようだ。
「今度耀美さんにパン作りを習う日が待ち遠しいです!パンは晴斗兄様も好きで、この前の帰りの車でも、おいしいパン屋さんの話で盛り上がったんですよ」
「そうだったの…」
「焼き立てのレーズンブレッドが耀美さんは大好きなんですって。その時話していた耀美さんお薦めのお店のレーズンブレッドをあとで晴斗兄様に買ってきてもらったんですけど、晴斗兄様もおいしいって褒めていました」
「まぁ…」
「耀美さんって甘い物も大好きなんですって。今度、みんなで食べに行きませんか?私と麗華お姉様と耀美さんと晴斗兄様と悠理の5人で!」
「麻央ちゃん…」
「なんですか?」
「…もしかして耀美さんと市之倉様をくっつけようとしていません?」
「うふふ」
やっぱりか。あの日もやけに強引に、耀美さんを同じ車に乗せて帰って行ったもんなぁ。
「市之倉様にはれっきとした恋人がいらっしゃるでしょう?」
あのモデルをやっているきれいな彼女が。
「それが、最近あまり会っていないようなのです」
「そうなの?!」
「はい。だったら今がチャンスと思って…」
麻央ちゃんがにやりと笑った。
なんということでしょう!いつの間にか無垢な麻央ちゃんが悪い笑顔を覚えていた。
「本当は麗華お姉様に晴斗兄様のお嫁さんになって欲しかったのですけど…」
「ええっ!」
「でも諦めました。だって麗華お姉様には伊万里様のような素敵なかたが傍にいるし、高等科の皇帝や雪野君のお兄様といったかたもいるでしょう?ライバルが多すぎですもの」
ううん?聞き捨てならない名前がいっぱい出てきたような…。
「えっと、大きな誤解をしていないかな?麻央ちゃん」
「いいんです!そのかわり、麗華お姉様も協力してもらえませんか?ねっ?」
うっ!可愛い麻央ちゃんにそんなお願いポーズをされたら、断れないっ。麻央ちゃんは将来、とんでもない小悪魔さんになりそうだ。悠理君、頑張れ!