「ええ。その時まで、他の誰とも踊らずに待っていますから」 思わぬことを言われ、ミレーユは目を見開いて彼を見つめた。 厄介事を運んできた使者を見たら、彼女は一体どんな反応をするだろう。ものすごく嫌な顔をされるのではないか。──はるばるアルテマリスから来て、パン屋〈オールセン〉に辿り着き、扉を開ける時まで気がかりはやまなかった。 正直、気乗りしない任務だった。フレッドとジークが何を企んでいるのかがわかりすぎるほどだったし、フレッドだけならともかくジークが絡むと大抵ろくなことにならない。もちろん、ミレーユにまた会えるのは楽しみではあったのだが──。 ジュリアに見つかったのは、路地でそうして考え込んでいた時だった。 『フレッドが言ってたけど……、あなたミレーユの恋人ってほんと?』 人違いの暴言を詫びるやそんな質問を浴びせてきた彼女は、リヒャルトが否定するとあっさり納得した。 『そうよねぇ。まさかミレーユにこんな……』 何が「まさか」なのかわからなかったが、随分話は回っているようだった。ダニエルの不自然な『昼寝』発言もそれと関係しているに違いない。 ミレーユに『親戚のお兄ちゃん』扱いされた時は、微笑ましく思いつつも実は少しだけがっくり来たのだが──自分で関係を否定しておいて落ち込む道理はないだろう。 (──たぶん、それくらいの距離感でいるのがちょうどいい) フレッドの妹だからというだけでなく自分にとっても大切な人として、遠くからでもいいからずっと見守っていければ、それでいい。 「……次って、どういうこと?」 戸惑った様子のミレーユに、リヒャルトはジークから預かってきた手紙を差し出した。 「次にアルテマリスに来たら、という意味ですよ。まあ、次回は踊る機会があるかはわかりませんが」 「は? アルテマリス?」 混乱したようにミレーユが手紙を開く。目を通していた彼女の顔に、みるみる不穏な色が浮かぶのをリヒャルトは訝しげに見つめた。 「なに? これ……。また王宮に来て身代わりをやれって書いてあるけど……」 「ええ。──本当にフレッドから聞いてないんですか?」 予測がつくようになってしまった癇癪の爆発の予兆に気づき、リヒャルトがたじろぎながら訊ねると、ミレーユはだんっと手紙をテーブルに叩きつけた。 「なんなのよこれぇ! 王太子のくせに脅迫状なんて書いていいわけ!?」 「脅迫?」 見れば、『とりあえず今すぐアルテマリスへ来い。従わなければ、どうなるかわかっているだろうな? 王太子たる私は指一本できみの父と兄の首を飛ばすことができるのだよ。フフフ……』などと書かれている。実際そんなことをしたこともないくせに、すぐ悪役ぶりたがるのがジークの悪い癖だ。 それにしても、フレッドからの手紙を読んだはずなのにミレーユは今ようやく事態を把握したらしい。 「いいわよ、行ってやるわよ。行けばいいんでしょ行けば! こっちだってねえ、ジークやら筋肉集団やらに山ほど言ってやりたいことがあったのよ! ちょうどよかったわよほんとにっ!」 何やらやけくそのようにも聞こえる心情を激白して、ミレーユは一転、深いため息をついた。 「また男の恰好しなきゃいけないの? しかもあんなキラキラして毒々しい王宮で……。今はここから離れてる場合じゃないのに……フレッドの馬鹿……」 「ミレーユ……」 怒りのせいか本音と建前が混濁しているようだ。あらためて気の毒さがこみあげ、リヒャルトは彼女の肩に触れた。 「俺がいても、だめですか?」 「えっ」 驚いたように顔をあげ、ミレーユは少し頰を赤らめた。しばし考えるように黙り込み、首を振る。 「そんなことないわ。頼りにしてるわよ。そうよね、なんだか知らないけど、さっさとジークたちをとっちめて帰ってくればいいのよね!」 気力を取り戻したらしく、ミレーユは笑顔で立ち上がるとテーブルの上を片付けた。 「待ってて、急いで支度してくるわ!」 盆を持って元気よく店の奥へ消えていった後ろ姿に、リヒャルトは微笑んでつぶやいた。 「──待ってますよ。いくらでも」 二人きりの茶会が終わってしまうのは残念だが、これから始まる新しい日々の魅力には、勝てそうもない。 その後、娘と再会した喜びで暴走したエドゥアルトの行為により、せっかくのやる気を削がれてやさぐれまくったミレーユをなだめることになるのは、まだ先の話である。 「結婚することになりました」 日が落ちて間もない頃。今日は王宮中でさまざまな祝宴が催されているため、白百合の宮も人はまばらである。部屋にいるのもセシリアと、たった今衝撃発言した彼──白百合騎士団副長のカイン・ゼルフィード子爵のみだ。 「そ……、そうなの。それはおめでとう」