メニューが届いて三分ほど経過。 白木さんはいまだに黙りこくってるのだが、果たしてどうするのがよいか。 早く注文を決めてくれないと食欲が満たされないのに。 …… でも。 本当、真之助さんも間が悪い。 浮気は男の甲斐性、なんて言葉を今の白木さんが受け入れられるわけもなく。 仕方なしに、メニューを無理矢理、うつむいた白木さんの真下へ押しやる。「タダだから何でも気にせず注文どうぞ」「……」「気にせず・・・・、ね」「……はい」 言ってる意味がわかっただろうか。 まあわからなくてもいい。お腹が空いてるからネガティブな思考が優先されるんだ。満腹なら真之助さんの暴言など軽くスルーして、忘却の地平線まで流せるだろ。「……決まった?」「は、はい。ではこの、『ナポリ風ラザニア』を、お願いします」「失礼だが白木さん」「……なんですか? ひょっとしてこのメニューは終わり……」「ラザニアじゃなくてラザーニャだ!」「どこかの富澤さんみたいなこと言わないでください」「今まではどちらかというと、俺が伊達ちゃんポジだったのに」「ツッコミ逆転ですね」「たまには伊達ちゃんもボケるときあるから」「富澤さんはツッコむより先に笑っちゃうときありますけど」 そこまで会話して、お互いにちょっと和んだ。よし、こんなもんでいいだろ。サンドは偉大なり。「じゃあ決まりね。真之助さーん、ナポリ風ラザーニャふたつ、お願いしまーす!」「はいよ。ラザニアふたつな。すこし待て」「俺、ちゃんとラザーニャって言ったんだけどなぁ!?」 コントをここまで再現する必要なかろうに、などと嘆いたふりしていると、白木さんも笑顔を見せてくれている。 よっしゃ、こんな雰囲気でないと飯も美味くない。とりあえずあとは適当に軽い話題を…… などと思っていると突然、白木さんのスマホが鳴った 。 俺はビクッと一瞬身をすくめたが、白木さんはそれを放置したままである。「……通話? 出ないの?」 白木さんは黙ったまま、苦笑い。誰からかかってきているか、わかってるようだ。 やがて諦めたように着信音は途切れ、そのしばらくあとにライソのメッセージ着信の知らせが鳴る。 わざとらしく、忌々しそうに、うざったそうにスマホの電源を落とす白木さん。それでやっと、相手が誰だか俺にもはっきりわかった。「……なんなんですか、今さら。ほんと、今さら……」 文字でない白木さんのつぶやき。ほんの少しのネガティブな感情がこもってる、気がする。 まだ池谷に一握りの想いがあるのか、それとももうウザいだけなのかは、正直わからんけど。 ま、いくら吹っ切れたとか醒めたとか言っても、そんなにすぐ断ち切れるような関係じゃないもんな、彼氏彼女って。 実際俺も人前では強がるとは思うが、自分ひとりの時にお誘いなど受けたら、ホイホイついて行ったりするかもしれん、という危惧はあるから。 ──なんて思ってたら。突然、俺のスマホにもメッセージなるものが舞い込んできた。あわててスマホを覗く。『突然ゴメン。今日の夜、祐介の家に行ってもいいかな、久しぶりにゲームでもしようよ』 簡易なメッセージ。だが、ここ三か月は見られなかった内容のメッセージ。佳世からだ。 既読スルー上等。確認だけしてスマホをさっさとポケットにしまうと、白木さんが心配そうな目で俺を見ているのに気づいた。「……なんなんだよ、佳世のやつ。今さら、本当に今さらだわ」 おそらく誰からのメッセージか感づいているであろうから、はっきりと『佳世』という固有名詞を含めたうえで、さっきの白木さんと同じセリフを言ってみる。 少しは笑ってくれるかなと期待してた。それでも白木さんは無反応で、空気は重いままだ。 しゃーねーな。 俺は四文字だけメッセージを返すことにした。『だが断る』 シリアスな空気の時、おちゃらけたふりをするのは俺の悪い癖かもしれん。 でも、この時は場の空気を変えようと必死だったよ。 メッセージ画面を白木さんに無言で見せると、彼女はしばらくした後に眉を寄せたまま笑う。満点の笑顔には程遠いが、しかめっ面よりずっといい。「……それ、わたしもパクっていいですか?」 池谷になんて誘われたのかは聞けるわけもないが。 パクって良いよという意味で俺が頷くと同時に、白木さんは先ほど落としたスマホの電源を入れ直し、メッセージをパッパと入力して、またすぐに電源を落とした。 ひとりの時にメッセージを受けなくてよかったな。白木さんがいてくれてよかった。もしひとりだったら、きっぱり拒絶はできなかったと思う。 ちょうどその時、注文したラザニアがテーブルに到着。「……よし、食べるときは余計なことは抜きで、ただ美味しくいただくとしますか」「そうですね。作ってくださった人にも失礼ですから。では、いただきます」「いただかれます」 戻ればおそらく、不幸しか待ってないはず。それがわかるから、お互いにあえて触れないわけで。 アツアツのラザニアをフーフーと冷ましながら、ただただ口へと運ぶことに没頭した俺と白木さん。 その時ふたりで食べたラザニアは、少しだけ未練の味がした。 ──飲み込んで終わりにできたらいいな。