美味い、という表現は少し足りないかもしれない。 良質の油にまみれた鳥から、すっきりとした油が口内に流れ込む。レモンやハーブらしい深い味わいが待っていた。「んふう……っ! おいし……っ! なんてジューシーな油……っ!」 眉間に可愛らしい皺を刻み、瞳を閉じながらマリーは呻く。それは黒猫も同様で、こちらはかぶりついた姿勢のまま瞳をまん丸にしていた。 お肉はしっとり、皮はパリパリ。 これこそがローストチキンだろうと思うし、出来たてこそ最も風味高い。清涼感のあるハーブが鼻を抜け、溢れた油には旨味がこれでもかと詰まっている。 決してデパートなどでは手に入らない味であり、これこそが買って帰るという選択肢を失ってしまった理由だ。 長い時間をかけ、油ごと旨味を吸い続けたポテトもたまらない。カリッとするまで焼き上げたので、本来ならば素朴な風味のところを数段上まで引き上げている。「あああ、もうこれ美味しいーー……っ! なんて香ばしい鳥なのかしらっ。もう、もう、本当にくやしいわ。今まであなたの事を知らずに生きていたなんて。もしも時間を巻き戻せるなら、これまで出会った鳥たちを全てオーブン料理にしてあげるのに」 う、うん、まさか後悔をされるとは思わなかったな。 マリーは赤ワインをひとくち飲み、満足しきった息を吐く。その息にさえ香草の風味が残されているので、香りに弱いエルフには堪らないだろう。 食べきれるか心配、という言葉はもう過去の物らしくモリモリと胃袋に消えていった。 後に残されたのはお腹を膨らませたエルフ、黒猫、そして半分まで減ったホールケーキだ。デザートはテーブルを飾るのが目的で、食べるのはまだ先だろうと思っていたのに。 たっぷりの美味しい食事、それに赤ワインに負けてしまったらしい。椅子からお尻をずり落とし、ほけーっと少女は天井を見上げていた。黒猫も同様にノックアウトで、お腹を膨らませすぎて仰向けになっている。 だけどそういう姿を見るのを僕はとても好きだから、お行儀のことや歯磨きのことを口うるさく言ったりはしない。いや、もちろん言ったほうが良いのは知っているけどね。 薪ストーブを開け、残りの骨や野菜などを火とかげにお裾分けしていると、窓の外に何かが見えた気がした。ちらり、ちらり、と音もなく。 かすかな期待をしつつ、窓辺に寄る。外はもうすっかりと暗く、どこの家庭でもイブを楽しんでいるのだろう。 はあ、と息が漏れてしまう。 見間違いなどではなく、空からは白っぽいものが降っていた。どうりで昼間は冷え込んだわけだ、などと思いながら冷たいガラスに触れる。「雪だー……」 ベランダの柵には一センチほど白い層ができあがっており、わずかな厚さながらも世界を白く染めていた。 はあ、ともう一度息を漏らす。雪というのはどこか清らかで、吸い込まれるよう見つめてしまう。 いつの間にやら、ふらふらとマリーが近づいていたらしい。彼女からぎゅうと背中に抱きつかれ、僕と同じように空を見上げる。 ダウンライトだけに残した部屋からは、ちらちら舞い降りるものが見えており、口を開けて見つめていた。 伝わる体温を覚えつつ、そんな彼女に声をかけた。「もう遅いけど、良かったら散歩をしないかな? もちろんお風呂あがりだから少しだけね」「ええ、行きたいわ。私、雪の降る景色がとても好きなの。見上げると空に上っているようで」 なら決まりだ、という事で二人そろってコートなどを着込んでゆく。こういう時はビニール傘を用意していて良かったなと思いつつ。 外に向かう間際、少女の手を引いて呼び止める。 そして怪訝そうな顔をする彼女に向け、天井を指した。そこにはヤドリギのリースがあり、オレンジ色の実を見せていた。 たまらずに少女は小さく吹き出す。くつくつと笑い、それから笑みの形をした唇を差し出した。「もう、仕方のない人。さあ、早く奪って頂戴。そうしたら手を繋いで散歩をしましょう。でないと雪が溶けてしまいそう」 では失礼してと僕は囁き、拒めないのを良いことにエルフさんの背に腕を回す。触れた唇は柔らかく、お風呂あがりの香りが鼻をくすぐる。 華奢な腕から背中に抱きつかれ、もう少しという意味なのか唇を押し当てられた。 どうやらヤドリギの下でのキスは、結婚を約束したことになるらしい。この後の散歩のことを考えると、その言い伝えを教えられなかったけれど、僕の考えはずっと前から決めてある。 ふう、と離れてゆく唇は息を漏らし、視界には瞳を濡らすマリーが映る。たまらなそうに身震いをひとつし、それからコートの内側に抱きついてきた。「もう、やっぱり不意打ちはズルいわ。心の準備がまるで出来ないもの。拒まないのは構わないけれど、せめて1時間前に伝えてくれるかしら」「そんな事務作業みたいに……。ほらマリー、そういう決まりなんだから仕方ないんだよ」 柄にもなく、おとがいを指につまんで上向かせると「あっ」という声を少女は漏らす。密着した身体からは、とくんと心臓の音が伝わったたけれど、それは僕のものだったかもしれない。 それから互いに熱っぽい息を吐くと、互いに笑みをこぼす。クリスマスに雪が降るなんて、ちょっとした奇跡だからね。 もちろん青森でなら当たり前だし、むしろ「十数年ぶりにクリスマスに雪が無い!」なんて事がニュースになったりもするけれど。そのあたりは東京と真逆だね。 がちゃりと玄関を開くと、ようやく僕も理解をしたよ。火とかげ君のおかげで部屋は暖かく、つい防寒具を油断してしまうマリーの気持ちを。「行きましょう、今なら下の道も真っ白だわ。私たちだけの足跡を残せそうよ」 そう振り返りながら言うマリーは、見とれてしまうほどの良い笑顔をしていた。