も、いいんだ……! と。
子ナシ族同士で話していると、よくこの「姪・
おい
甥がいるから私はもういい」という話になります。自分のきょうだ
いの中に一人でも子を持つ人がいると、「親に孫の顔を見せる」という最低限のミッションは果たした気持ち
になる。だからこそ「もう私は無理しなくてもいいのだわ」と思って、「やはり結婚はしなくても子供は産んでおく
べきか? だとしたらどうやって? とはいえこの年になっていきなりシングルマザーっていうのもねぇ……」
などと
もん
悶
もん
々と思い悩まなくて済む、と。
ですから子ナシ族は、姪や甥を大変に可愛がるのです。
おもちや
玩具や洋服をせっせと買い与え、どこかに連れ
ていったりお小遣いをあげたりと、自分の子供ではないからこそ、無責任に可愛がることができる。子ナシ族
同士で集まると、姪や甥の写真を見せ合ったりして、
「いや本当に、姪くらいで丁度いいわよねー」
「これが自分の子供だったら、育てきれないわよ!」
「姪は来てよし、帰ってよし」
などと、孫を自慢し合うおばあさん同士のような会話に。
私達は、「姪や甥に、イトコをつくってやっていない」という事実からは、目を
そ
逸らそうとしています。自分は
子供の頃、あれだけ楽しくイトコ達と遊んでいたというのに、可愛い姪に自分はイトコを与えていない。
その上、将来的に子ナシ族は、自分の葬式を、おそらくは姪や甥に出してもらうことになるのです。葬式ば
かりではないでしょう。老後の世話も、死んだ後の始末も、我が家の場合は確実に、姪の細腕に負担がかか
ることになります。
自分の子供にすら「老後のことも葬式も、迷惑はかけたくない」と言う親が多いというのに、ほぼ確実に姪や
ら甥やらに迷惑をかける、我々子ナシ族。彼等が小さい時にどれほど可愛がっても、またどれほどお小遣い
をあげても、その迷惑料として見合うものではありません。
我々が高齢者となった時、この「子ナシ族のおじ・おば」の世話を負担に思う甥・姪が、大量に出現するこ
とになります。おじ・おば&甥・姪の関係というのは、近いようでありながらも、実の親とは全く異なるものです。
おじ・おばは、時に甥・姪にとってよき相談相手にはなるものの、ではその老後の面倒をみなくてはならないと
したら、それは不良債権的存在以外の何ものでもない。実の母親のシモの世話と、おばのシモの世話とで
は、負担感は全く異なるのです。
甥・姪を持つ子ナシ族達でよく話すのは、
「やっぱり、お金なのか……」
ということです。老後、できる限り甥・姪の世話にならないようにするならば、必要なのはお金。自分のお金
で老人施設などに入って、自らの始末をつけなくてはならないであろう、と。
「とはいえ、やっぱり最期だけは世話にならなくてはならないわけで、だとしたらやっぱり、死して後にはお金を
残しておいてあげなくちゃねぇ」
「あと、物は残さないこと! 親の遺品整理だけでも大変なのに、おばさんの遺品整理までさせられてみなさ
いよ。なるべく物は少なくしておかなくちゃ」
「ま、残すならバーキンとかダイヤモンドとか、後々になっても使えるものね」