「いえ。私は1個で充分ですわ。どうもありがとう」「そう?まだ何個か残ってるから遠慮しなくていいけど」「…そうですか?そこまでおっしゃるなら、もう1個だけいただこうかしら?」 そして吉祥院さんはご当地限定チョコを嬉しそうに食べた。こんな安物チョコをここまで喜んで食べるとは意外。ピヴォワーヌの吉祥院さんなら、ヨーロッパ王室御用達のチョコしか食べないとかってこだわりを持ってても不思議じゃないのにな。「どうもありがとう、佐富君。こんな貴重なものをいただいちゃって。佐富君は心が広いのね」「は?いやいや、たかがチョコの1個や2個でおおげさな」「あら、山で遭難した時、ひとかけらのチョコレートが命の明暗を分けたという話を聞いたことがありますわよ。チョコを侮ってはいけないわ」 ここは東京のど真ん中だよ、吉祥院さん。 1個数十円のチョコを食べ終わった吉祥院さんは、ペンケースから自前の派手な指サックを取り出し、元気よく働き始めた。チョコひとつにどれだけの威力があるんだよ。秋澤のアドバイスに偽りなし。 後日、きょろきょろと周りに人がいないことを確かめた吉祥院さんが、俺にさっと小さな包みを渡してきた。「誰かに見られる前に早く隠して!今すぐ!ナウッ!」 え、吉祥院さんって非合法なブツの売人?俺、そういうのには手を染めない主義なんだけど…。 そっと覗いた怪しい包みの中には、ファンシーなご当地キャラクターの描かれたチロリアンチョコが入っていた。うん、間違いなく合法。「どうしたの、これ」「シッ!声が大きい!この前のお礼ですわ。絶対に誰にも言わないでくださいね。特別なルートから手に入れましたの」「…闇ルート?」「ネットですわ」 それはただのご当地グルメのお取り寄せだね、吉祥院さん。 吉祥院さんは「また欲しくなったら声を掛けて」と言って、人目を避けるように立ち去った。その後ろ姿に警察24時をみた。職質に気を付けてね~。 そうして吉祥院さんと一緒にクラス委員の仕事をやっていくうちに、その少し近寄りがたい雰囲気や持っている肩書と権力に反して、中身はちょっと抜けてる楽しい人だということが徐々にわかってきた。どこまでやったら怒るかなといろいろ試してみたけど、かなりのところまで平気だった。たとえちょっと怒らせたとしても、謝ってお菓子をあげると「しょうがないですわね~。今回だけですわよ」と簡単に許してくれた。 ピヴォワーヌの女王は、賄賂に弱い。「佐富君の髪って、それ地色?」 ある時、吉祥院さんはジーッと俺の髪を凝視して言った。「それ、微妙にカラーリングしてますよね?」「あ、バレた?」「校則違反ですわね~」 吉祥院さんはにやりと笑った。「そういう吉祥院さんだって、その巻き髪、パーマじゃないの?」「天然パーマですの」 嘘つけ。根元は直毛じゃねーか。しかたがない。「どうかひとつ、これでお目こぼしを」 俺は朝コンビニで買ったひとくちドーナツを進呈した。「おぬしも悪よのぉ」 吉祥院さんはひとくちドーナツを悪い笑顔で受け取った。 ピヴォワーヌの女王は、100円の駄菓子で簡単に買収できる。 そんな感じで吉祥院さんで遊んでいたら、人気のない廊下で左右からそれぞれの腕をガシッと取られた。ピヴォワーヌの女王の側近中の側近、風見芹香と今村菊乃だ。「貴方、最近麗華様に対してちょっと行動が目に余るわよ」「あまり調子に乗りすぎるんじゃないわよ」 ……俺、闇に葬られちゃう?! 吉祥院さんの怖いイメージって、半分以上はこいつらのせいじゃないかな? ある時吉祥院さんが俺に難しい顔で聞いてきた。「佐富君、私にあだ名が付いてるって知ってる?」 げーーーっ!なんでそれを?! 平静を装い聞き返すと、なんと水崎から聞いたと言う。なんで本人に言うんだよ、水崎!あいつバカじゃねーの?! 吉祥院さんには数多くのあだ名が付けられている。ほとんどは彼女の外見から連想されたもので、吉祥院さんが水崎から聞いた“巻き巻きマッキー”以外にも“ドーリー(ガー)ル”とかいろいろあるけど、代表格はもちろんインドの殺戮と破壊を司る“女神カーリー”だ。そのカールされた髪と怒らせると怖いというイメージから付けられているあだ名だけど、さすがにこれだけは本人に知られるのはまずいっ! だいたい吉祥院さんが女神カーリーなら、そのカーリーに腹の上で舌出して踊り狂われるシヴァ神は誰だよ?!って話だ。あのふたりのどちらかか…?!なんてことは、誰もが頭によぎっても口にはしない。ピヴォワーヌの三強全員を敵に回すようなバカはさすがにいない。俺達は無事に瑞鸞を卒業したい…。「佐富、大丈夫か?」 体育の授業で一緒になった水崎からの唐突な一言。「なにが」「あの吉祥院麗華とクラス委員やってるんだろう?問題が多いんじゃないか?」「問題ねぇ」 水崎は吉祥院さんにあまりいい印象は持っていないんだな。まぁ吉祥院さんのイメージからすると無理はないけど。俺も最初はそんな感じだったし。でも、「吉祥院さんって、たぶん水崎が思っているような子じゃないと思うよ。クラス委員の仕事も、俺より全然真面目にやってるし。知ってる?あの人って事務仕事のために専用の指サック持って来てんの。俺も1個もらっちゃった。ハート型のラメラメの派手なやつ」 ほぼ秋澤の受け売りだけどな。「…ふぅん」「あっ!ってかお前!吉祥院さんにあだ名が付いていること本人にバラしたろ!何やってくれてんだよ!聞かれたこっちは寿命が縮まったんだよ!」「あ、悪い。俺も言ってからしまったって思ったんだよ」 しまったじゃねーぞ!気を付けろ!俺、マジで闇に葬られるから!