と言っていました。女の子達に聞いたら、ほとんどの子が医師か教師になりたいと言っていたのです。しか
し、もしも子供達が全員高い教育を受けて医師や教師となったら、若者は皆、村からいなくなってしまう。彼
等が都会で様々な刺激を受けたならば、戻ってくる気もなくなるでしょう。
GDP(国内総生産)ではなくGNH(国民総幸福量)が重要、といった話もありますが、私はラオスの小さ
な村の地べたに座って、まさにそのことを考えておりました。私は「可哀想な子供のお役に立ちたいわ」とい
う上から目線でこの村にやって来ましたが、彼等は実は幸福そうだったのであり、彼等の方が私を「ぎすぎ
すした都会で、子供も産まず信仰も持たずに、よく生きていられるな」と思っているのではないか。
水道も無いラオスの村と、水道水だって十分飲める水なのに、ミネラルウォーターを買って飲んでいる私
と。「ちょうどいい幸せ」というのは、両者のどちらなのか、それとも両者の間のどこかに存在しているのか。こ
の答えはまだ、私の中で見つかっておりません。