子供のころ過ごしてきた青森は、まさに林檎の収穫期だ。 この時期には大抵アルバイトをしており、あのずっしりと重い林檎の山を運んでいた。雨の日も風の日も、朝から夕方まで休まず働かされるのだから、かなりきつい仕事だと思う。「青森では果物への思い入れというか管理が異常でね。ええと、例えば林檎の赤い部分、あれは日に当たらないと赤くならないから、ひとつひとつ向きを変えたり、傷つかないようクッションを置いたりしていて、かぶせる袋も何度となく改良を……あれ、どうしたのその表情?」「職人技に呆れていたところよ。ようやく分かったわ、向こうの果物との味に、雲泥の差がある理由を」 まあねえ、向こうでは基本的に放置だものねぇ。 要は努力の差、あるいは愛情の差なのは分かっている。しかし、同じ事をしろと言われても出来るわけがない。 当時の僕でさえ重労働に音を上げていたし、あれだけの甘い香りに包まれて「しばらく林檎は食べたくない」と考えていたほどだ。「けど不思議だな、この年になって秋を迎えると林檎が恋しい」「私も青森が恋しいわ。見渡す限りの畑や果樹園、少し車に乗っただけで素敵なお城があるなんて。それに夜がとても静かで素敵だったわ」「秋の情緒を感じたいなら、都内よりも青森だろうね。そうそう、まだ先のことだけど冬の情緒もまた格別で、雪景色の温泉、スキー、それに年越しはなかなか賑やかだよ。年始も初詣があるし……ん、そう考えると日本はいつでも賑やかなのかもしれない」 秋と同じように冬は寂しい時期ではある。けれど、それ以上にイベントが多い。そのような風物詩にも瞳を輝かせ、楽しみでたまらない表情をするのがマリーでもある。 我が家のエルフさんは森育ちのせいかややミーハーで、おかげで日本の暮らしをたっぷり楽しんでいる。ついでに僕もまた、日本の良さを再発見するような日々を送っているわけだ。「あら、エルフは大体そんなものよ。楽しそうな声がすると長耳をそばだてて、気になって気になって仕方がないの。だから私のように、駄目だと言われてもエルフの森から出てしまう者が後を絶たないのよ」「それじゃあ騒がしいものが大好きなエルフさんを、冬の青森に招待したいと言ったら……喜んでくれるかい?」 そう伝えると、しばしの間を置いて、ぽすんと少女は顔を押し付けてくる。脇の下は温かく、そのままコクコク頷かれると、くすぐったいやら何やらで僕まで物悲しい秋というものを忘れてしまいそうだ。 再び顔をあげた少女は、先ほどよりもずっと嬉しそうな表情をしていた。