信長の天下統一事業を象徴する城郭、安土城は、1582 (天正10)年の「本能寺の変」 (織田信長の家臣明智光秀(1528-82)の謀反)の後、間も無く焼失し、廃城となってしまう。現在残っているのは石垣などだけだが、当時の様子はイエズス会宣教師ルイス・フロイスの記録などから知ることができる。それらの資料によると、信長は天守に、家来たちはその下や城下の屋敷に居住していたという。また、当時の姿を知るための資料としては、信長が画家の狩野永徳に描かせた屏風がある。これは当時カトリック教会の司祭アレッサンドロ・ヴァリニャーノ(AlessandroValignano,1 539-1606、天正遣欧少年使節派遣を計画・実施した人物)に贈られ、その後ヨーロッパに輸送されて、教皇庁に保管されているという。