佳菜が客間に小走りに行ってしまうと、千尋は少し困ったような笑顔をしながら総太郎に顔を近づけてきた。端正な顔が至近距離に近づいて、総太郎はドキドキしてしまう。「ち、千尋さん?」「総太郎君。これからも佳菜は迷惑をかけることになると思うけれど、今後は私も一緒にいるから、ひどいことにはならないと思うの。佳菜の困ったところを、一緒に直していってくれたら嬉しいわ」「……それは、もちろん。婚約者になるっていうことなら、俺も佳菜をいい方に導きたいと思います。どれだけできるかは分からないですが」 やはり千尋も、佳菜には相当困らされているのだろう。そうと分かると、総太郎は少し微笑ましい気持ちになる。「ありがとう。これからよろしくね、私のことはお母さんって呼んでくれて構わないから」 そう言って千尋は総太郎の頭を撫でてくる。 その手の柔らかさに心地よさを覚えながらも、総太郎はまだ、彼女を母と呼ぶことはできないだろうと思った。呼んでしまえばさぞ楽になるのだろうとは思うのだが、今日負けたばかりの相手にすぐ甘えるのはさすがに男として情けない。 これからどうなるかは分からない。だが、総太郎はせめて、最低限の誇りは心に残しておきたいと思うのだった。