彼女は微笑みながら、ずるりと手荷物から人形を引きずり出す。殴られ専用人形、もとい不運を引き受けてくれるありがたい人形だ。その使い方を知るミレーユはヒッと息を呑んだ。 「それ、まだ持ってたのっ」 「当たり前ですわ。あたくしの一生の相棒だもの。ちなみに先週新調したばかりなの。殴りやすくてお気に入りよ」 そういえば以前見たものと仕様が違う。普段どれだけ人形を殴っているのかと青ざめながらミレーユは声を押し出した。 「わ、わかった、言うわっ。ええと……、そうだっ。王太子としてだけじゃなく、自分を見てくれたから……とか、確かそんなこと言ってたわ」 他にも言われたことがあったはずだが、咄嗟に思い出したのはそれだった。ミレーユがいると知らずにフレッドに話していたことだ。 シャルロットは人形にむかって構えていた拳をおろし、怪訝な顔をした。 「それって、アルテマリスにいた頃の話よね? あなたは彼が王太子だって知らなかったんだから、そういう目で見ないのは当然なんじゃない? あなただけじゃなくて他の女性だって知らなかったんでしょうし、それだけであなたが特別になるのはおかしい気がするけれど」 「え……。でも、フレッドに訊かれてそう言ってたんだけど……」 だが言われてみればそうかもしれない。それを聞いた時は深く考えもしなかったが。 「なんだか、建前の返事って感じがするわね。本心から答えていないみたい。彼、あまり内心を他人に明かさない感じだものね。心を開いてないというか……秘密主義というのかしら」 「……確かに、そういうところはあるかも」 出会った頃からリヒャルトは優しかったが、本当に気持ちが通じ合ったのはごく最近のことだ。彼に関して知らないことはまだたくさんあるように思う。 なんとなく考えこんでしまうと、ぴん、と鼻先をつつかれた。 「きっと、あなたへの気持ちはあなた本人にしか言いたくないとか、そういうことじゃない?」 灰色の瞳がからかうように見つめている。冷やかすようなその言いぐさが、逆に元気づけてくれているように思えて、ミレーユは思わず笑みをこぼした。 「あ、ねえ、リディエンヌさまの結婚式がもうすぐあるのよ! 一緒に行かない?」 思い出して身を乗り出したが、シャルロットは表情をあらため、首を振った。 「いいえ──すごく残念だけれど、あたくしは行けないわ」 「えっ……、なんで?」 リディエンヌとはリゼランドの宮廷劇団時代から親友のはずだ。出席したいに決まっていると思っていたミレーユは驚いて詰め寄った。 「アルテマリスを出る時、リディと約束したのよ。一人前の女優になるまで会わないって。あたくしまだ半人前ですもの、顔を合わせるわけにはいかないわ」 「でも、結婚式なのよ。リディエンヌさまだってわかってくださるわよ」 「とんでもない。のこのこ会いに行ったら叱られてしまうわ。こっちだって恥ずかしくて顔を出せないわよ」 その代わり大女優になったらいつでも押しかけていってやるわ、と彼女は笑った。 ミレーユにはよくわからないが、それが舞台女優同士の友情なのかもしれない。そう思ったので、それ以上重ねては誘わなかった。 (自分の夢に向かって一直線に進んでるのね……)