「本当によかった。これで安心して御前を離れることができます」 椅子を振りかぶって、思わず動きが止まる。 (……え?) セシリアはぽかんとして伯爵を見つめた。──御前を離れる? 「秋から大学に入ることになりまして。今までのように両立は難しそうだということで、殿下の傍付きはお役御免となったんです。お迎え役を申し出たのは、この件をお伝えしたかったからというのもあったんですよ」 なのに殿下ったらいなくなってしまわれるんだから、と伯爵がけらけら笑う。セシリアは呆然としてその呑気な笑顔を凝視した。 「いやー、殿下がお寂しく思われるのは心苦しいのですが、ぼくにも家の事情みたいなものがありましてねえ。一応跡取り息子を自認しているので、いろいろやることをやっておかないといけなくって」 「……っ」 アハハと笑っている伯爵をよそに、セシリアはリヒャルトを見上げた。彼が黙ってうなずいたのを見て、ようやくこれが現実なのだと自覚する。 (いなくなるの……? 伯爵……) 憎たらしくて仕方なかった人だが、どこかへ行ってしまうというのは想像していなかった。 立ちつくす王女に、伯爵は微笑んだままうやうやしく一礼する。 「短い間でしたがとっても楽しかったです。どうぞこれからもお元気で──王女殿下」 そうして、伯爵は本当にいなくなってしまった。 笑い話のようだが、それ以降、白百合の宮はまさしく火が消えたように静けさを取り戻した。彼目当てでやってきていた令嬢や貴婦人らの訪問もなくなり、侍女たちも憧れの対象を失って消沈している。それだけでも伯爵がいかに人心を集めていたのかわかるというものだ。