忘れられていた英雄「春華、何で残ってるんだ? 皆と一緒にヒターチに行ったんじゃ?」 俺の困惑する声に、春華はただ笑みを浮かべて応える。しかし答えてはくれない。 手を宙に少し置いて「待っていてくんなまし」と言いたげだ。料理の進行があるからだろう。すぐに厨房へ戻って行った春華に俺は首を傾げ、疑問を残したままポチの後ろ脚を持って引きずり洗面所に向かった。「「ぷわっ!」」 顔を洗った俺とポチは、同時に手拭いを顔に付け、同時に拭って放した。悠久の時、繰り返されたバリエーションの中の一つだ。こういう時は何故か波長が合う。「春華さんが?」「そうなんだよ。朝食を作ってたな」「おかしいですね。てっきりマナさんが残ると思ってたんですが……」「んあっ? お前知ってたのかよ!?」「当然でしょう。マスターを騙すのは昔から私の役目なんですから!」 まるで俺が悪いかのように強めに言われてしまった。「いいですか? 昨日ブルーツさんが言ってたでしょう。『これからは向こうのイツキと連絡を取り合って、引き取った子供をここに送ってもらう予定だ』って。その面倒、マスターと私だけじゃ無理に決まってるでしょう?」「つまり、ここには最低一人残る必要があったのか……」「そういう事です。昨日マナさんと春華さんが『練習』と称して何度かジャンケンをしていたんですが、十中八九マナさんが勝っていたんです。けど、本番では春華さんが勝ったって事でしょうね」 何故、大の大人がジャンケンに練習を必要とするのかはまったくもって理解に苦しむが、二人には勝って残る利点などあったのだろうか。 どう考えても高難度のモンスター討伐に参加した方が得られるモノが多いだろうに。 居間に向かって歩く俺が、顎先に手を添えながらそう考えていると、ポチはじとっとした目をこちらに向けて大きな溜め息を吐いた。「はぁ~……」 何とも耳当たりのよろしくない溜め息である。 居間に戻ると、春華は座布団の脇で正座しながら待っていた。 俺とポチがテーブルに載せられた焼き魚や茶色いスープに目を奪われていると、「改めて、おはようございんす」 春華は指を付いて頭を下げた。「あ、あぁ。お、おはようございます」 俺は慌てて春華と同じポーズを取り頭を下げた。 慣れない風習のせいか、非常にぎこちなかったように思えるが、ポチは見事にそれを成し得ていた。というか、完全に「伏せ」のポーズだった。なるほど、上手い訳だ。「どうぞ、お掛けくんなまし」 春華の言葉に勧められるがまま、俺とポチはテーブルの前にある朱色が褪せたような座布団に腰を下ろした。それを見届けた後、春華も座布団に座る。 見た事もない食事が並び、再び料理に目を奪われる。「マスター、マスター! 早く早く!」「ん? あぁ、じゃあポチ、今日はお前やれよ」「はい!」 ポチは待っていましたと言わんばかりの笑顔でそう叫び、前脚を合わせた。俺と春華もそれに続き、ポチの言葉を待った。そう、これは神への祈――――「――――神様ありがとうございます! おかわりですー!」「おいはえーよ! 目の前にあったご飯どこ消えた!?」「私の血となり肉となっています!」「既に消化してんのかよ! おかしいだろお前の胃酸!」「今なら私の胃酸だけでオーガキングを葬れますね!」 ち。駄目だ。既にポチの目はご飯しか見えていない。俺の皮肉も全然通じない領域に達している。 確かに天獣の胃酸だ。消化も早く、強力なのかもしれない。今度ポチが吐いたら調べてみよう。