さて、桜並木の続く通りは「桜のトンネル」と言われるだけあり、川を挟んでぎっしりと植えられている。あのボートに乗ればトンネル気分を味わえるけれど、これほど花びらが舞っているならば、どこにいても楽しめるに違いない。 気持ちよい快晴のなか、黒猫はきょろきょろと見上げつつ、どうにかマリーについてゆく。そんな忙しそうな様子を見て、思わずひょいと担ぎあげた。「そうか、ごめんごめん。ウリドラにとっては初めての桜だったね。僕が運ぶから、ゆっくり景色を堪能して欲しいかな」 きょとりと黒猫は瞳を見開き、それから礼を言うように顎先へこしこしと額をこすり付けてくる。くすぐったくも、ふんわりと先ほど入ったばかりの温泉の香りが漂う。まあ、僕も同じ香りをしているだろうけど。 そういうわけで少女は僕のシャツを握ることになり、黒猫とおなじくらい辺りを見回しながら歩く。舞い落ちる花びらは桃源郷のように視界をピンク色に染めており、それに呑まれたようエルフの足取りはふらふらとしていた。 とはいえ、この景色では仕方ないだろう。一年のうちで最も美しい光景の中にいるのだから。 どこか夢見るような声で、少女は色づいた唇を開かせた。「江東区ではとっくに散っているというのに……こんな色鮮やかだなんて」「桜前線はゆっくり北上してゆくんだ。僕らが新幹線に乗ったから、彼らを追い抜いてしまったんだね」 そう答えると夢見心地に少女はうなづいてくる。 とはいえ少しだけ心配かな。瞳はとろんとしており、色素の薄い肌はほんのりと色づいている。どこかで休ませるべきか、などと考えているときに少女は空いているほうの手を横へ差し出した。 ざうっ……。 その光景に、僕と黒猫は目を見開く。 ほっそりとした手へ集うよう、色あざやかな花びらが舞ったのだ。ぶわりと渦状に舞い、桜色は見とれるほど濃い色彩へと変わる。 にう、という鳴き声に、少女はハッと我を取り戻した。ざあ、あ、と花びらは霧散し、人々も口々に「きれいだったわねえ」「つむじ風かな」などと言いながら通り過ぎてゆく。 安堵の息をそっと吐きながらマリーを覗きこむと、瞳には先程よりだいぶしっかりとした色彩が戻っている。「いけない、精霊に触れすぎてしまったわ。でも、これほど近づいてくる子たちは初めて……」 そうだった、彼女はこの世界で極めて珍しい精霊使いなのだ。 春は人を狂わすというが、ひょっとしたら精霊らの仕業かもしれない、などと心のなかで思う。