「や、おかえり。いただいた入浴剤は気持ちよかったみたいだね」 などと声をかけつつ、メモやマップを引き出しにしまう。 できれば当日まで事前情報を伏せておき、心から堪能してもらいたいからね。ある意味でサプライズになってくれれば良いけれど。 マリーはにまにまと笑みを浮かべ、こちらへ歩いてきた。 おや、僕からの問いに答えず、真っ白い首筋を差し出してくるのはどういう意味かな? 怪訝に思って見つめていると、エルフはしばし悩み、そして太ももの上へ横座りになった。 のしっと柔らかなお尻に座られ、少しだけ僕の心臓は騒がしくなる。白く輝くような髪、幻想世界を思わせる瞳がすぐ目の前にあり、ふわりと入浴剤の香りが漂ってきた。 あ、なるほど、入浴剤が気になるなら嗅いでみて、という意味だったのか。綺麗な鎖骨を見せられ、無意味にドキドキしてしまったよ。その……この角度だと膨らみも分かってしまうから。「ん、すっきりした香りだね。ハーブ系なのかな」「そうみたい。身体も温まるしとても良かったわ。あなたも入って来たらどうかしら」 楽しみたいのはやまやまだけど、その前に2人へ贈りたいものがあるからね。どうやら黒猫も綺麗にたいらげたらしく、ぐるぐると満足そうに喉を鳴らしている。 ならばちょうど良いかと少女の太ももと背中を支え、ひょいと椅子から立ち上がった。わ、軽いな。 笑みを浮かべたままマリーは「ひゃあ」と軽い悲鳴をあげ、そして首筋へしがみつく。見上げる高さになり、ぴんと何かに気づいたらしく笑みをこぼす。「あら、確かお楽しみと言っていたものね。この世界のデザートは甘くて美味しいから楽しみだわ」「期待に応えられたら嬉しいね。ウリドラ、甘いものは黒猫も別腹に入るかい?」 ビー玉のような瞳をこちらへ向け、返事代わりにぴょんとマリーのお腹へ乗って来た。そのまま「にう」と可愛らしく鳴いてくるけれど、僕の腕力的に遠慮してくれると助かるかな。 それに彼女の場合、胃袋が魔導竜へ通じているのではと思うくらい食せるので、心配の必要も無さそうだ。「じゃあ取りに行こうか。マリー、冷蔵庫を開いてくれるかな?」「任せてちょうだい。もうちょっと近くへ……よいしょ」 取っ手をつかみ、がぽりと彼女は冷蔵庫をひらく。 するとリボンで封をされた白い箱があり、伸ばした彼女の手がそれを掴む。落ちないようお腹の上へ乗せたのを見て、僕は背中で冷蔵庫を閉じた。「んふ、何が入っているのかしらー。しっかり支えていてちょうだいね」 任せてと言いたいけれど、できるだけ暴れないようにね。 横支えのお姫様だっこになると、リボンを解こうと彼女らはクイクイ引っ張る。そうして箱を開けば、ふわりと甘酸っぱい匂いは周囲へ漂う。赤い果実の乗ったショートケーキを見て、わっと少女は声を漏らした。「わ、わ、あまおう! 見てウリドラ、すごく大きいわ」「にうにうーー!」 上機嫌そうにぱたぱた足を振っているのは可愛いけれど、これは気をつけて運ばないといけないぞ。もしバランスを崩したりでもしたら台無しどころじゃ済まされない。 頭にたんこぶを作り、さらにはケーキを台無しにしたら……あ、これはもう軽蔑されかねないね。 人知れず緊張しつつも少女と黒猫、そしてケーキを僕はそうっと運ぶ。椅子へ座らせるのは早々に諦め、ベッドへゆっくり降ろした。ふうーっ、冷や汗をかくなぁ。「ねえ、この白くてふわふわしているのは何かしら?」「それは生クリーム、洋菓子のケーキって言うんだよ。この世界には職人がいてね、あまおう好きのエルフさんは格好の餌食さ」 あら怖いと少女は呟き、くつくつ笑う。 有名なフルーツ店に行ってみたところ、ぎりぎり苺のショートケーキが残っていて助かったよ。白い箱からケーキを取り出し、持ってきた小皿へそれを乗せる。「あ、すごいわ。側面にまで輪切りの苺が……わ、ちょっと、全面にあまおうがあるじゃないの! どうやったらこんな綺麗に飾れるのかしら」「それが職人の技かな。さ、極意ともいえる味を楽しんでごらん」 マリーは興奮により頬を染め、勢い良く頷いてくる。 手渡したフォークでぷすりと大ぶりな苺を刺し、そして唇へ寄せ……さぷりっと瑞々しく千切れる音がし、彼女の眉はたまらなそうにハの字へ変えてゆく。「あまぁーいっ。んーーっ、あまおうはやっぱりフルーツの王様ね。これがあるから夢のなかでフルーツを食べる気にならないの」「果物には他に王様と呼ばれる物があってね、苺はさしずめお姫様というところかな」 もくもくと頬張り、彼女なりに王様の姿を思い浮かべていたかもしれない。とはいえ聞いて来ないのは、旬になれば僕が届けてくれると思ったのかな。……なんて、さすがにドリアンは口に合うか分からないや。「でも、どうして買ってきてくれたの?」「ずっと食べたがっていたからね。これはもう我が家のエルフさんへお届けしなければ、などと思いまして」 おどけて言うと、くすりと少女は微笑む。「あら、その心遣いには感謝をしましょう。そうね、どうやってこの気持ちを伝えたら良いかしら」 うーんと悩みつつ少女は苺をもうひとくち噛む。そしてクイクイと袖を引いてきたので顔を近づけると――かぷりと唇を食まれてしまった。 じゅわりと甘酸っぱい果汁が伝わり、柔らかな唇から一滴したたる。あまりの事に僕の心臓は大きく跳ねた。 細い指は胸のシャツを掴み、そしてより近づくよう引き寄せている。 不意打ちにもほどがあり、今もぷるりとしたマリーの唇を感じているせいで目眩を起こしそうだ。驚く僕の視界には目を細めた少女がおり、もうすこし口を開けてと囁きかけてくる。「うっ……く」 誘惑に負け、すこしだけ唇を開くと、かぽりと少女のものと重なる。 少女の唇の裏側にある感触に、かあっと全身の熱は高まった。それはいままで触れたことが無いほど柔らかく、甘く甘く、とろりと脳まで溶けてしまいそうなほど瑞々しい。 くらりとし、気がつけば僕はベッドへ倒れていた。「……あの、マリーさん?」「んふ、私からのお礼。気に入っていただけたかしら?」 気に入る、気に入らない以前に……甘くて美味しかったです、なんて言えないでしょう。外見は少女だというのに、年齢差が70年近くあるせいで弄ばれてしまうのか。 恨みがましく見つめたけれど、少女と黒猫は我関せずとショートケーキに舌鼓を打っていた。「わ、なにこのクリーム。うわ、おいしっ! ウリドラ、あなたの小さな身体で食べきれるか心配ね。友達として助けてあげましょうか?」「にうにう! にう!」 そんな様子を眺めながら、はああーと僕は人知れずため息を吐いた。 ……まいった。うちのエルフさんが艶かしすぎて、僕はもう倒れそうです。あ、もう倒れてるんだっけ。 子猫と言い合うエルフの横顔は、それはもう綺麗な笑みを浮かべていた。