俺の一言で、シルビアが何かに気付く。「応酬が十一手続いたとして、考え得る最大のパターンは……約三十四億八千万通り」「さッ――!?」 実際はこんな数字にはならない。 《歩兵弓術》に《龍王弓術》で対応するなど、そもそも準備が間に合わないので有り得ない話。 有り得る選択肢としては、多くとも三通りだ。相手の場合も、精々が三通り。 しかし、それでも……十一手先となると、三の十乗で、約五万九千通りとなる。 そして、二十一手先ともなれば……まさしく、三十四億通りの数字となる。「それを、全て、覚える、の、か……?」 シルビアが戦慄しながら言った。こいつ、ちょっと勘違いしているな。「逆だ。とても覚えられない。だからこそ定跡を用いる」「逆、だと?」「ああそうだ。対戦における定跡とは、いちいち考えていられない何十億何百億通りの選択肢を、考えないで済む方法と思っていい」「ま、待て。よくわからない」「わかるはずだ。思い出せ。お前は対戦中に何を考えている?」「何を考えて……? ううむ、相手の対応を予想したり、それに対してどう返せば相手が困るか、とかだろうか」「まあ、殆どのやつがそうだろう。事実、そういった思考が必要な時もある。特に終盤は」「それと定跡と、一体なんの関係があるのだ?」「いちいち考えないで済むのなら、その分、素早く動けるだろう? 定跡ってのは、対戦が始まるより前に、そういった膨大な思考を全て済ませておいてしまおうという作戦だ」「!」「さくせん!」 そう、定跡とは立派な作戦。 戦闘中に思考することも、確かに必要なことではある。しかし、先を予想しようとすればするほど、先ほど言ったようにそのパターンは樹形図的に大量に広がるため、どうしても思考時間を要してしまう。 じゃあもう対戦の最中じゃなくて、対戦が始まる前にある程度のパターンを知っておけばよくね? というのが定跡。 あらゆる場合の最善を、あらかじめ研究し、身に付けておく。これに勝る「速さ」はない、と言っても過言ではない。「ちょ、ちょっと待てセカンド殿! 今の話、得心は行ったが、結局のところ、その何億という選択肢を全て覚えなければならないということではないか!?」「いいや、違う。定跡とは最善の連なりだ。相手に最善を要求する連続。相手が道を踏み外した時、その分岐はそこで終わる。だから、何億という数字にはならない。大体、そうだな、数千から数万通りだろう」「む、そうか、数千から数万か、それなら……って多いな!? やっぱり多いぞ!」 最初のうちは、そう思うかもなあ。「大丈夫だ。本筋は十通りくらいと考えていい。その枝葉が多いだけで」「それでも、覚えなければならないのだろう? 私に覚えられるだろうか……」「意外と覚えられるんだ、これが。一つ一つの意味をしっかりと理解していればな」 二人はステータスこそ上級者となったが、対人戦はまだまだ初心者。ゆえに最初は数十通りの王道パターンからゆっくり覚えていけばいい。 ……まあ、それだけなら、単なる記憶力の問題。この二人であれば、何も心配はいらないだろう。「むう……数億通り覚えるのと比べたら、幾分か現実的か」「ぱたーん! あたしおぼえるのとくい!」 ただ、一つ勘違いしてほしくないのは――「馬鹿、安心するな。覚えて終わりじゃないぞ」「何?」「ほ?」 ――記憶しているかどうかと、実際に使えるかどうかは、また別の問題。「定跡とは思考時間をカットするための手段の一つでしかない。最も重要な部分は、呼吸するように、定跡を自分のモノにできているかどうかだ。いざ実戦となって、えーっと確か定跡がこうだからここはこうで……なんて考えていたら意味ないぞ。こう来たらこう! と、即座に、無意識に、反射的に動けなければお話にならない」言わば、己の戦闘スタイルを丸ごと構築し直す。それが、定跡を覚えるということ。 一旦、これまで培ってきた何もかもを忘れ、ちっとも上手くできない高等技術を一から身に付けなければならない。