「ぼこぼこに!?」 あの爽やかで穏やかな紳士がまさかそんなことをするなんて。しかしリヒャルトはかつて野獣と呼ばれた人でもあるので、本気で怒ったらやっぱり怖いのかもしれない。 「子どもの頃は全然そんな激しいところなかったのにさ。てか、喧嘩すらしたことなかったのに。よっぽどミシェル先輩のこと好きなんだねー」 「い、いや、それは……」 「ねえ──どうやってあいつのこと落としたの?」 探るような目つきで見つめられ、ミレーユははっと我に返る。 「ちがうよ、誤解だから! 大公殿下とは全然なんの関係もないんだから!」 彼はリヒャルトが男のミシェルと恋仲だと誤解している。もとはといえばミレーユたちの不用意な行動を目撃されたからなのだが、だからこそ、いい加減はっきり〝誤解〟を解いておかなければならない。 むきになって言い張るミレーユを、フィデリオは笑みを浮かべたままじっと見ている。 「いろいろ人に聞いてみたんだけどさー。ミシェル先輩、ロジオンともあやしい関係なんだって? あいつとも付き合ってんの?」 「……はあ!?」 「衆人環視の中で愛の告白されたらしいじゃん。その後もずっとつるんでるっていうし」 なぜそうなる、と目をむいたミレーユだったが、なんのことを言われたのか気づくと頭を抱えたくなった。そういえば第五師団に潜入していたころにそんなことがあった。あの件を本気にしてしまった騎士がいてもおかしくはない。 (ていうかいまだに覚えてる人いたんだ。ひそかに噂とかされてたのかしら……) そんなことなどつゆも知らず、護衛役として常に行動を共にしていた。微妙な気分だ。 「ロジオンとも付き合ってるとなると、二股だよね」 「ちがうってば! ただの噂で、なんでそこまで飛躍するの!」 「じゃあなんで一緒にいるの? 何か別の目的でもあるとか?」 「も、目的って」 「そういや、あいつってミレーユ姫の護衛やってるんだよね。んでもってエセルの乳兄弟なんだよね。結構な重要人物なんだけど、だから仲良くしてんの?」 矢継ぎ早に笑顔で質問を繰り出され、だんだん冷や汗が浮かんできた。 ひょっとして彼はミレーユとミシェルが同一人物だと気づいているのだろうか。わかっていて、かまをかけているのか? 「ミシェル先輩さー。ほんとにエセルのこと好きなの?」 面白がるような笑みをたたえ、フィデリオが顔を近づけてくる。 「それとも、エセルが大公だから、好きなふりをしてるだけ?」 「だから、それは──」 「エセルに悪いことしようとするなら──俺、怒っちゃうよ?」 反論しようとして顔をあげたミレーユは、はっと言葉を呑んだ。 こちらを見つめているフィデリオは、笑顔だが──目が少しも笑っていなかった。 (え……なに?)