たらふく食べた後はコタツで丸くなる、というのはエルフも黒猫も変わらないようだ。 とはいえ、ぽこんと膨らんだお腹のせいで猫は丸まれず、仰向けに近しい姿勢で寝そべっていた。 そして少女はというと、ぽやんとした瞳を天井へ向け、うつらうつらと舟をこいでいる。美味しい食事とお酒により幸せそのものという表情をしており、それを眺める僕らまで頬を緩めてしまう。 ぽんと老人から肩を叩かれたのは「お風呂に入れてあげなさい」という意味がある。このまま眠ったなら空を登るよう気持ち良いだろうけど、お気に入りの洋服が皺になってしまうからね。「マリー、眠る前にお風呂へ入ったらどうかな」「……ひゃい。ええと、あれ、お風呂ってどこかしら……」 囁きかけると、少女は寝ぼけた顔を見せたあと「起こしてちょうだい」と両手を伸ばしてくる。よいしょと抱き起こせば黒猫は枕を失い、こてんと反対側へ寝転んでしまう。 猫にとっては寝床が急に消えたようなものだろう。ようやくビー玉のように綺麗な瞳を開いたころ、僕らは薄暗い廊下に出ていた。 しばし黒猫は悩んだが、田舎のお風呂というものに興味をもったらしい。のたのたと歩く姿はいかにも眠そうで、伸びをひとつし、それからようやく居心地のよい居間を離れる決意したようだ。 かつかつとガラスへ爪を立てるとおじいさんは戸を開けてくれ、するりと廊下へ飛び出した。田舎の廊下は薄暗くて寂しいが、この先には2人がいるだろう。 お腹はたっぷり重いけど、軽やかな足取りで黒猫は暗がりへと歩いていった。 ――がららっ。 立て付けの悪い戸を開くと、そこには広めの風呂場が待っている。しかし薄暗い様子に怖がっているのか、二人してそおっと覗き込んでいた。「今日はたくさん汗をかいたろうからね。この椅子に座って、しっかり身体を洗うんだよ」「う、うん……妙な雰囲気があってすこしだけ怖いわね。その……」 言おうか言うまいか迷う素振りをし、それからおずおずと上目づかいに訊ねてくる。「お化け、出ないかしら……」 あれ、彼女は精霊を操るエルフであり、僕よりずっと不可思議な存在を見ているはずなのに。とはいえ心細げに言ってくるものだから茶化すのも難しいか。 お化けなんていないさと答える代わり「はい、どうぞ」と僕はプレゼントを差し出した。「わ、赤い、リンゴ?」 ずしりと重みのある林檎は、暗い脱衣所でも照りを見せる。十分に熟しているため手に持っただけで甘い香りが漂うほどだが、その唐突な贈り物に少女と黒猫は瞳を丸くさせていた。「痛みがあって売り物にならない青森産の林檎だよ。お風呂に浸けると香りを楽しめるらしくてね。どうかな、2人で確かめてみるというのは?」 そう伝えると、2人の瞳にほんのすこし輝きを灯らせるのが分かる。 どうやらお化けなどより未知なる入浴剤への興味が勝るらしく、エルフと黒猫は顔を見合わせコクコクと頷き合う。「それに、もし心配なら近くにいても構わないよ」「もう、最初からそう言ってくれたなら怖がらなかったのに。ウリドラも一緒に入るかしら?」 返事代わりとして黒猫は一足お先に風呂場へと入り、遅れて少女も服を脱ぎ始める。ぱさぱさと脱衣カゴへ放られ、それから待機していた僕へ「いいわよー」と呼んでくる。 そういうわけで風呂場には林檎の香りがぷうんと広がり、黒猫は桶を湯船にして風呂を堪能することになった。「お湯加減はどうかな、2人とも」「ええ、ちょうど良いし甘酸っぱい匂いがとても新鮮。私たちの入浴剤コンテストに出たら優勝してしまうかもしれないわ」 どぽんという音は、たぶん林檎が湯にもぐる音だろう。 もうひとつ、どこまでも音が吸い込まれてゆくような静けさは田舎ならではかもしれない。まるでこの風呂場の外には何も無いかのようだ。 ふう、という息づかいもどこか鮮明に聞こえ、湯気に乗って届けられる香りは甘い。 やがて少女は鼻歌を口ずさむと、風呂場はより華やかな場となる。 もしお化けがいるとしても、空気を読んで退散するかもしれないね。まあ子供のころに見たきりだし、きっともういないだろう。 合いの手のように「にうー」という鳴き声も混じると、なかなかに賑やかな歌を味わえたものだ。