「忠言耳に逆らう」
例によって小会議室に呼び出された私に、鏑木が放った第一声がこれだった。
「はい?」
「あの日お前に言われた言葉はあまりにも耳に痛く、厳しい指摘で、俺にはその場で簡単に受け入れることができなかった…」
「はい…」
鏑木、相当ショックを受けていた様子だったもんねぇ。あれを見て、私も言い過ぎたってすぐに後悔したもん。鏑木はブランマンジェのように繊細な私と同じく、柔いメンタルをしているのかもしれん。
「決してそんなことはないとはあの時の俺には言えなかった…。俺は一晩考えて、お前の言う通りだったと認めざるをえなかった。確かに俺は、優理絵を基準に考えていたことを認める」
「そうですか…」
あの状態で一晩も考えさせちゃったかぁ…。ごめん。言った私はその頃、ぐっすり熟睡していたというのに。でもちゃんと自分の間違いを認められるのだから偉いね。さすが唯一の取り柄が素直なだけある。
「俺はずっと優理絵と一緒にいたから…、優理絵しか見ていなかったから、優理絵以外の女の好きなものなんて知らないんだ。あぁ、あとは愛羅くらいか。でもあのふたりの好みはだいたい似ているからな。だから余計にそういうものだと思い込んでいた」
「ええ」
「優理絵が好きなものだったら、高道も好きなんだろうと、思ってしまった…」
「はい…」
鏑木はそう言って一瞬下を向き悔しそうな表情をすると、すぐにその顔を上げた。
「でもな、吉祥院」
鏑木は真摯な顔で私の目をしっかと見た。
「俺が今好きなのは、高道だから」
「……!」
う、うん。その整った顔でジッと強く見つめられて「好き」とか言われたら、本人じゃないのにドキッとするじゃないか。どぎまぎしてしまった私は、慌てて鏑木から目を逸らした。恋愛ぼっち村村長には刺激が強すぎる。く~っ、私だっていつかは!
「吉祥院、あいつと俺の考える高校生らしさというものは、全く違うんだな?」
「そうだと思います。ピヴォワーヌと、中学まで公立に通っていた子とでは、育ってきた環境がまるで違いますから」
「そうか…」
鏑木は頷いた。
「だったら俺は、これから高道の生活圏やその価値観を学んでいこうと思う」
「よろしいんじゃありませんか?」
ま、基本中の基本だよね。好きな相手を知るということは。
「しかし、そこで問題がある」
「なんですか?」
「高道の考える高校生らしさがまるでわからん」
あ、そこからか。だよね、皇帝サマだもんねぇ。庶民を知ろうにも、どこから手を付けていいかすらわからないか。そもそも鏑木って、一般的なことってどこまで知っているんだろう。
「鏑木様は、コンビニって行ったことあります?」
「バカにするなよ。それくらいあるに決まっているだろう」
鏑木は少しムッとしたようだ。ほお、そうですか。
「ではファーストフードは?」
「ファーストフード?ファーストフードは…、ない、な」
「ファミリーレストランは?」
「…ない」
想像通りの箱入りお坊ちゃんですなぁ。
「なんだよ!そういうお前は行ったことがあるのかよ!」
私の目が口ほどに物を言っていたらしく、鏑木が噛みついてきた。
なに言ってんだ。あるに決まってるじゃん。私を誰だと思ってるのよ。麗華ランキングには、チーズバーガーランキングもあるのだ。たかがチーズバーガーといっても、お店によって結構違う。そのため私は日々フィールドワークを重ねている。
「俺は基本的にジャンクフードは食べないんだ」
そうですか。大抵の庶民はジャンクと仲良しですよ。そして私こそが、ジャンクフードの女王だ!
「お前だって俺と似たような家庭環境だろう。なんでそんなところに行ったことがあるんだよ」
「なにごとも人生勉強ですから」
なんてね。本当は単に好きだからってだけだよ~。
「高道もファーストフードに行ったことがあるのか?」
「あるんじゃないんですかぁ?」
見たところ若葉ちゃんにはジャンクフードを食べないというこだわりはなさそうだし、だったら普通に行くよね。
「そうか。よし、吉祥院。だったら俺を今からファーストフードに連れて行ってくれ!」
「は?!今から?!」
「そうだ。善は急げ。俺はすぐに知りたい。さぁ、行くぞ」
えーっ!なんで私が…!
「ほかのかたと行けばよろしいじゃありませんか。なんで私が」
「お前くらいしか俺の周りに行ったことのあるヤツがいなさそうだからだ」
「絶対にいますって、ファーストフードくらい。あぁ、それこそ高道さんに連れて行ってもらえばいいじゃないですか。ファーストフードデート。高校生らしくて大変結構だと思いますわよ」
「ダメだ。高道には俺がファーストフードも行ったことがない男だと知られたくない。そしていつか一緒に行く時には、高道をスマートにエスコートしたい」
なんだよ、その変なプライド。
「ファーストフードにエスコートもなにもないでしょうよ」
「いいから。デートの前の視察だ。行くぞ」
「私、今日塾があるんですけど…」
「だったら塾の時間に間に合うように行動すればいい。急いで支度をしろ」
こいつ…。前に私の都合を考えろって言ったよね?
しかし、ほら早く早くと急かす鏑木をもう止めることは難しそうだ。制服で行くのかぁ、目立つなぁ。瑞鸞の生徒や誰か知り合いに見られたらまずいなぁ。
「せめて学院から遠く離れた、瑞鸞生が誰もいないような場所のお店を選びましょう」
「なんでだ?」
「瑞鸞は塾や習い事以外の寄り道は禁止ですわよ?」
「…それをやって、誰が俺達を注意すると言うんだ?」
ですよね~。たかがファーストフードの寄り道でピヴォワーヌ、しかも皇帝に注意する人間なんていませんよね~。だいたい他の子達もみんな、制服でショッピングや飲食店に行ったりしているし。
「ファーストフード店に出入りしていることを知られるのは、吉祥院家の娘としてあまりよろしくないんです!しかも制服だから目立つし!」
今まで私がどれだけ気を使って行っていたか!このバカ弟子のせいで、すべての努力が無駄になるのはごめんなんだよ!それに鏑木と一緒にいることで、妙な噂になるのが一番困る!
「ふぅん…。わかった」
「それからこのことは、くれぐれも誰にもしゃべらないでくださいよ」
「わかった」
本当だろうね。私の足を引っ張るような真似をしたら許さないよ。今日はこの間きつく言い過ぎた負い目があるから一緒に行ってあげるけどさぁ。
そうして私は鏑木の車に乗って、瑞鸞から離れたファーストフード店に向かった。
駅の近くで降ろしてもらい、近くにあるファーストフード店に入ると、店内は学校帰りの学生達で溢れていた。
「吉祥院、おいっ!ここのシステムを教えてくれ!」
鏑木は私に小声で教えを乞うてきた。
「カウンターに並んで、好きな物を注文すればいいだけですわ」
「そうか」
鏑木はおとなしく列に並んだ。一見堂々とした佇まいだが、目は上に掲げられているメニューに釘づけだ。やっぱり目立つなぁ~鏑木は。みんながこっちを見てる。他学校の女子達が鏑木に見惚れ小さく騒いでいるが、鏑木はそんな子達の視線に一抹の興味も示さず、ひたすらメニューを見ていた。この態度、普段から女の子に注目されているのに慣れているヤツは違うね。
やがて私達の順番がやってきた。鏑木はハンバーガーとアイスコーヒーを注文した。
「ご一緒にポテトはいかがですか?今ならこちらのセットメニューがお得です」
鏑木の目が泳いだ。私の袖を引っ張ってくる。どうにかしろという合図だろう。
「ではせっかくですからセットメニューにしましょうか?」
「そうだな」
私が助け舟を出すと、ヤツは即行で乗ってきた。私もチーズバーガーのセットメニューにした。
トレーを持って2階に上がり適当な席に座ると、鏑木が「思った以上に安かった…」と感想を洩らした。そりゃあそうでしょうよ。
鏑木はアイスコーヒーを一口飲んで、顔を顰めた。
「味が薄いな」
「そんなものです」
ファーストフードのドリンクに期待などするな。私はウーロン茶を飲んでのどを潤すと、チーズバーガーの包みを開いた。鏑木は私の真似をしてハンバーガーの包みを開け、かぶりついた。
「なるほど…」
なにがなるほどなのかわからないけど、鏑木は感心したようにひとり頷いた。
「高校生が多いな…」
鏑木は客席を一瞥して呟いた。
「学校帰りに小腹がすいたのを満たすのにちょうどいい価格設定だからでしょう。おしゃべりもできますし」
「なるほど…」
「もう少ししっかり食べたい場合はファミリーレストランや、男子ならラーメン屋さんなどに行くのかもしれませんけどね」
「なるほど…」
鏑木は続いてポテトも食べた。ポテト、おいしいよね~。私もファーストフードに来た時には必ずポテトを食べるよ。麗華ランキングにはポテトランキングももちろんある。私は細切りが好きだ。
私もポテトを一口。おっと、いけない忘れてた。私はケチャップの封を開けた。フライドポテトにはケチャップは必需品だよね。それを鏑木が目敏く見つけた。
「おい!それはなんだ!」
「ケチャップです」
私はケチャップをポテトにつけて齧った。おいしっ。鏑木は自分のトレーを漁った。
「なんでだ?俺のにはついていないぞ!」
「ポテトのケチャップは言わないともらえませんから」
「言えよ!そんな話、聞いてないぞ!」
「欲しかったんですか?」
鏑木が悔しそうに私を睨んだ。ふふん。私は気にせずケチャップ付きのポテトを食べる。おいしいわぁ、ケチャップ付きポテト。
「…それを俺にもよこせ」
「イヤですよ」
分けたら足りなくなっちゃうもん。私はポテトにはケチャップ派なのだから。
「だったら俺の分をもらって来てくれ」
「イヤですよ。自分で取りに行けばいいじゃありませんか」
階段の上り下り面倒くさい。
「…ひとりで取りに行くには、まだ俺のファーストフード店における経験値が足りない」
「なんですか、それ」
「…あれだけ人が並んでいたのに、また並び直してケチャップだけもらうのか?」
「カウンターの横から声を掛ければいいんじゃないんですか?」
「あの忙しない中でか。高度すぎる」
鏑木は首を横に振った。じゃあ諦めろ。
「お前、酷くないか?」
「人は手痛い失敗から学ぶんですよ。これで鏑木様はファーストフードに行った時に、ケチャップをもらうことを忘れないでしょう。これは教訓です」
良かったね、ひとつ勉強になったね。
鏑木は恨みがましい目をしながら、ハンバーガーを咀嚼していた。
天下の皇帝鏑木雅哉が、ファーストフードでハンバーガーを齧っているとは、瑞鸞の生徒は夢にも思うまい。しかも右往左往していたなんて。
「でもまぁこれで、俺もファーストフードの仕組みはだいたいわかった」
「甘いですわね」
「なに?」
私はウーロン茶をズズッと飲んだ。
「ファーストフードではここのように作り置きがなく、注文してその場で作るパターンもあります」
「なんだと?!」
「その際には番号札を渡されて、出来上がるのを待たねばなりません」
「そんなことが…?!」
「ファーストフードといっても、お店によって特色があるのです。メニューも全然違います。ここだけですべてをわかったと思ったら大間違いです」
鏑木は愕然とした顔をした。ふぉっふおっふぉっ、庶民の生活は奥が深いのだ。
私達はそれぞれトレーの上の物を食べ終わると、席を立った。
おい、こら鏑木。なにトレーをそのままにして帰ろうとしてるんだよ。ゴミは自分で捨てるんだよ。「なるほどな…」じゃないんだよ。今日覚えたことをしっかりメモしておけよ。一度しか教えないからね!
「次はファミレスだな」
ひとりで行けよ!