なくても何らかの意味的な関係が存在する.(54) 美智子は目覚めた。(美智子は)カーテンを開けた。(55) 正博は風邪をひいていた。(正博は)学校に行かなかった。(56) 弘明は元気だった。(弘明は)会社に行かなかった。人間が目をさました後でカーテンを開けることは普通の事態である。したがって(54)は単なる時間的な継起をあらわしていると考えられる。人間が風邪をひいていれば、通常は家で寝ていて,学校や仕事には行かないことが期待される。つまり,(55)は最初の文の事態から期待される事態が次の文で表示されている。逆にある人間が元気であれば、学校や仕事に行くことが期待される。したがって,(56)では、最初の文の事から期待される事熊と予盾する事態が次の文で表されていることになる.言語によっては文を並列するだけで,特別の接続辞を使用しない頻度が比較的高いものもあるが(英語など),日本語では文と文の間に存在する意味的な関係はできるだけ接続辞を使用して表す向が強い。(54)のような時間的継起は,接続助詞「て」,あるいは接続助詞「そして」を使用して表される.(57 a. 美智子は目覚めて,カーテンを開けた。b. 美智子は目覚めた。そしてカーテンを開けた。(55) における関係は伝統的には「順接」と呼ばれるが、日本語では接続助詞「ので」,接続詞「だから」などを使用して表示される.(58)a. 正博は風邪をひいていたので,学校に行かなかった。b. 正博は風邪をひいていた。だから学校に行かなかった.(56)における関係は伝統的には「逆接」と呼ばれ、日本語では接続助詞「のに」,接続詞「しかし」などを使用して表示される.(59)a. 弘明は元気だったのに,仕事に行かなかった。b. 弘明は元気だった。しかし仕事に行かなかった。このような文と文の間の意味的な関係の種類は,話者の信念を含む状況に左右されるのであって,使用された接続群の適格性は,したがって状況を知らなければ決定できない。次の2つの文をみてみよう。(60) 優子は秀樹を愛していた。(61) 優子は秀樹と別れた。