さらに、淀屋辰五郎についての付記である。なぜ、歴史的にも有名な大阪の豪商、淀屋辰五郎を引き合いに登場させたのだろうか。「四抱えほどもあるあの松の木を自分の庭に引かせた」という下りであるが、権助が登った当時の松はそんな大きな松だとは書かれていなかった。「ただその医者の庭の松は、ずっと後までも残っていました。」と書かれている。つまり、四抱えほどの大きさに成長するからにはそれなりのかなりの長年月を要しているということが分かる。つまり、「あの豪商がわざわざ自分の庭に引かせた」ということを後書きのように付記したのにも芥川なりの何らかの意図があるのではないかと観るのは誤りだろうか