敬語は心要か
敬語は心要ない、人間は平等なのに敬語を使うのは変だ、と考える人がいる。また、敬語がないほうが簡単だという考えもある。確かに敬語をきちんと使うのは難しい。そのため、敬語を使わなくてはいけないような場面、つまり目上の人やよく知らない人と話す機会を避ける若者も多い。その結果、敬語がますますつかえなくなる。
それでは、敬語はないほうがいいのだろうか。そして、これから次第になくなっていくのだろうか。
ここに、敬語についての高校生の意識調査の結果がある。この意識によると、敬語を知ってはいるがうまく使えないという人が多いことがわかる。しかし、高校生の多くは敬「人間関係をうまく調整するものだから、これからの世の中にも心要である」と思っており、「相手を思いやる心から生まれるもの」だととらえている。そして、大多数の人は、敬語を知らないと困ると考えている。
この結果から、考えてみると、敬語は今後もなくなるとは思えない。実際、会社などでは、新入社員に就職するために、言葉遣いのトレーニングをするところもあるそうだ。とにかく、敬語を身につけなければ社会でうまくたっていけない。では、どのようにしたら、敬語は身につくのかろうか。
敬語は机の上では勉強できない。基本だけ覚えたら、実際にどんどん使ってみること大切だ。間違えたらどうしようと思って、引っ込み思案にならないで、上下関係、親疎の関係のある場に積極的に出てみたらどうたろうか。
ここで注意したいのは、敬語は言葉だけの問題ではない、ということである。敬語は相手に対する配慮を表わしたものだから、言葉だけではなく態度や行動にも気を配る心要がある。部屋を出る時「失礼いたします。」といっても、ドアをバンと大きな音をたてて閉めてしまったら、いやな惑じがするだろう。逆に、頭を見たらあいさつをしたり、相手の名前を覚えたりするだけで、相手に敬意は伝わり人間関係はうまくいくこともある。まずはでくるところから始めてみたらどうだろうか。