「オッサン。俺に釣りを教えてくれよ」 ある日。ビサイドが釣りをしていると、背後からそう声をかけてきた青年がいた。 ポケットに手を突っ込んだまま、横柄な口調で、ギラついた眼光で。とても人にものを頼む態度ではない。 だが、そんなことよりも、ビサイドには気になることがあった。どうして自分に声をかけてきたのかということだ。ヴァニラ湖にはビサイドの他にもごまんと釣り人がいる。そんな中で、何故、よりにもよって、こんなコワモテのいかにもカタギではない二十九のオッサンに?「……座れ、坊主。教えちゃる」 この変わった青年と会話をしてみるのも、面白いかもしれない。そんな、気まぐれであった。 すると青年は、意外そうな顔で数秒間ビサイドを見つめてから、口を開く。「教えてくれんのか」「おう」「釣りを、俺に、教えてくれんのか?」「そう言っとろうが」「本当に……?」「何じゃあ、しつこいな。早うこっち来て座れ。教えちゃらんぞ」「ま、待て、今行く! 待ってろよ!」 青年はゴツゴツとした岩場を乗り越えて、ビサイドのもとまで駆けるようにして近寄った。 後から判明した話である。青年は、ヴァニラ湖じゅうで「俺に釣りを教えてくれ」と聞いて回っていたようだ。青年は、丁寧語、ましてや敬語など、一つも喋ることができない。結果は当然、尽く断られた。最後の最後、諦めつつも試しに聞いてみたビサイドが唯一の当たりであったため、不意を突かれて驚いたのだとか。 ……それから。ビサイドは、青年に対して、休日の度に釣りを教えた。 青年は釣りの技術をどんどんと吸収し、二週間も経てば、一端の釣り人と言えるまでに成長した。 お互いに、何の仕事をしているのか、何処に住んでいるのか、そして名前すら、一つも知らない間柄。だが、青年はいつしかビサイドのことを「兄貴」と呼んで慕うようになり、ビサイドは青年のことを変わらず「坊主」と呼び続けた。 そんなある日。釣りをする二人のもとへ、招かれざる客がやってくる。「おーおー、ここかぁ。へえ、悪くないじゃん」「失礼しまぁーす」「おっすおっす。来てやったぜー」「……お前ら、何しに来た」 いかにも悪そうな風貌をした若者の三人組。全員、坊主よりか2つか3つほど年上の男であった。 坊主は立ち上がると、三人から距離を取るように一歩だけ後ずさる。「いやさあ、最近スラムでも話題になってんだよねぇ。釣りが稼げるって」「一人だけ良い思いしてるガキがいるらしいじゃん?」「なぁ、ずるいよなぁ。お前もそう思うよなぁ? 誰だろうねぇ?」 三人組はニヤニヤと坊主に近付いて、前後左右を囲む。「これが道具かぁ」「もーらい」「あざーっす」 釣り竿と網が盗られる。「…………っ」 坊主は、下唇を噛み、ただ黙っていることしかできなかった。 三人を相手に、勝てるわけがない。それは痛いほどよく分かっていた。加えて、この三人はスラム街でも幅を利かせている札付きのワル。逆らったら、もうスラムでは暮らしていけない。 そして、何より。自分も同じ道を通ってきたのだ。弱者から奪う。大切なものを盗む。全ては、力で決まる。この世の理であった。「――おう。ちょい待ちぃな、ニイちゃん」