戸を開けると小部屋の壁沿いに長椅子が置かれていた。ズボンを降ろし、板へと穴を開けたその場所へ、どかりとザリーシュは苛立ちまじりに座る。 窓は小さく、雨季のせいで月も見えない。横へ置いたランプ以外に明かりは無く、外から響く雨の音に包まれながら彼は深いため息を吐いた。「はぁーー……、くそっ!」 用を足しているあいだ、扉の向こうには黒薔薇の騎士が見張っている。ならば恐れることは何もない――では済まなくなってきた。 先ほど聞いた頭のおかしな伝承によると、この館はザリーシュを主として迎えないらしい。それどころか怨霊やら何やら渦巻いているようにさえ思える。 気持ちの悪い場所だ。あちこちから見られているような視線をずっと感じているし、ときどき小さな笑い声を聞くときもある。こんな場所に今までのうのうと暮らしていたなんて……。 ごんっ! びくりとした。戸を一度だけ強く叩かれ、暗いなか瞳だけぎょろりと動かす。 なんだ、なんだいまのは。誰かが叩いたのか、それともプセリが合図でもしたのか。――そう、そうだ、プセリは何をしている。「プセリ……、おい、いるのか?」 いるはずだ。そうでないとおかしい。ザリーシュは命じたのだ、この場で警護をしろと。指輪は彼女の意思を封じ、何があろうとそこを離れることはない。 しかし、返答が無いことに心臓は鼓動を早めてしまう。 何かが変だ。何かが起きている。しかしそれは何だか分からない。額を手で拭くと、ぬるりと汗はまとわりついた。 そのとき、女性の声がトイレへと響く。「ザリーシュ様、ふふ……」「おお、いたのか、良かっ……」 ほうと安堵の息を漏らしかけ、同時に凍りつく。彼女の声はすぐ足元、戸の下から聞こえてきたのだ。薄暗い中、そこの床へ黒い何かが這いまわっているように見える。大量の黒い何かが……。 からからの喉をおさえ、そしてかすれた声を漏らす。「なにを、しているんだ。おい、何をしてるんだ!」「何って…………」 くすり、と笑われ、それきり彼女の声は消えた。 ざうざうと周囲から気持ちの悪い音が響きはじめ、しかし暗くて何も見えない。 うわーーっと思った。わーーっと叫んでこの狭くて暗いところから逃げ出したかった。 しかし散々飲んだ酒のせいで、一向に収まる様子は無い。それどころか、きゅっと下腹部は縮こまり弱々しい勢いで流れ続けている。「はぁーーっ! はぁーーっ! はぁーーっ!」 脂汗に濡れた手でランプを持ち、それを床へと向けた。 いや、見なければ良かったかもしれない。戸の隙間からは黒いものたちが、ぞろぞろと波打って入ってきている様子に、ランプの明かりは小刻みに揺れる。 ああ、黒いツタを思わせるそれは……大量の人髪だ。