今や、できちゃった結婚を厳しい目で見たりしたら、結婚する人などいなくなってしまいます。「たまたま結
婚前に子供に恵まれただけなんです」というムードが「でき婚」の周囲には漂い、また「できちゃった結婚」で
はイメージが悪いということで、「おめでた婚」「さずかり婚」といった言葉も登場しているのです。
だからといって、いちいち有名人女性が結婚する時に、妊娠しているか否かを報道する必要があるのか。
……と私がプンプンしていると、ある友人が言いました。
「その『なお、妊娠はしていない』っていう言葉は、賞賛の意味を含んでいるんじゃないの?」
と。
「なぜ?」
と問えば、この結婚難の時代、妊娠もしていないのに結婚に持ち込むというのは、女性にとって至難の
業。妊娠という飛び道具を用いずに、女としての実力だけで相手に結婚を決意させるという「できてない婚」
を達成した女性は、「神」とすら
あが
崇められる存在なのだ。そんな中、澤さんのような女性が「できてない婚」を
したということは、尋常でない偉業。……と、そういうことを言いたかったのではないか、とのこと。
私は、
「なるほど!」
と、深くうなずいたのです。今時のできてない婚カップルは、女側は「妊娠もしていないのに、よく決意させ
た」と、そして男は「妊娠もさせていないのに、よく決意した」と賞賛される対象だったのですね。
それを言うなら、できちゃった結婚をするカップルに対しても、世間は一種の賞賛を示しているのでしょう。
すなわち、
「たとえ妊娠しても、中絶という手もあったはずだ。だというのにそのまま妊娠を継続させ、かつ結婚するとは
偉い。責任感が強い!」
という賞賛。
してみると、
「なお◯◯さんは妊娠三ヶ月。来年◯月に出産予定」
という報道にしても、
「なお◯◯さんは妊娠していない」
という報道にしても、いずれにしても結婚する人を賞賛しているということ。結婚難の時代、妊娠しているか
否かの質問は、単なる下世話な好奇心からくるものではないのかもしれません。
とはいえ、できちゃった結婚か否かをはっきりさせないと気が済まないという姿勢の背景にあるものは、賞
賛の意ばかりではありません。「子供は、結婚してから産むもの」という根強い感覚が、そこには確実に存在
するのです。妊娠していない状態で結婚→結婚後のセックスで妊娠、という正しいコースが厳然として存在
するから、そのコースから逸脱していないかどうかを検証せずにはいられないのでしょう。
そしてこの「子供は、結婚してから産むもの」という感覚こそが、日本の少子化の大きな原因。結婚したくて
もできない人が多いのだから、その先にある出産は望むべくもない。独身時代に妊娠しても、相手に結婚を
拒否されたならば、「それでもいいわ」と産む勇気を持つことができる人は、少ないのです。
シングルマザーは、全く珍しくない昨今。ですが、そのほとんどが夫との離別もしくは死別によって一人で子
育てをするお母さんなのであり、出産の時から一人といういわゆる未婚の母は、ごく少数派です。