わかります、と同情を含めた瞳を向けられてしまったよ。ああ、この苦悩を分かち合えるときが来るなんて、と妙な嬉しさを覚えていたのだが……。 何かに気づいたように彼女の瞳は疑わしげな瞳へと変わってしまった。「ま、まさか手を出したりは……」「しませんしません。それほど僕には度胸もありませんから」「つまり、度胸があれば手を出していたと?」 あっ、返答に失敗したかな。 とはいえ、度胸があっても何かをしただろうか。僕の中の優先順位は、彼女との関係を壊したくないというのが一番にある。「可愛い子なんです。幻滅されたくなくて」「……はい、私などが言うことではありませんが、しばらくはその関係が良いと思いますよ。さて、貸し出しカードですが、住所変更などはありませんか?」 あ、そういえば……以前に図書館を使用していたのは、引越しをする前のことか。免許証を差し出し、そして住所変更の手続きを行う。 免許証を手渡したときに、「あら?」と一条さんが声を漏らした。「まさか、同じ番地……? あの、ここは○△マンションですか?」「え、一条さんもこちらに住んでいるんです?」 彼女は目を丸くし、こくこくと頷いてきた。 はあ、驚いたな。まさか同じ場所に住んでいただなんて。 くいくいと袖を引かれ、見下ろすとマリーが怪訝そうな顔をしていた。「ねえ、何を話しているの?」「ええとね、どうやら彼女も僕らと同じマンションに住んでいるんだって。たしか結婚をしているから、ご夫婦で暮らしているんじゃないかな」「あら、ご近所の方だったのね。マンションというのは下にも横にも家があって、だれが住んでいるのか分かりづらい気がするわ」 忙しい現代人として、ご近所付き合いというのは薄れつつあるからね。かくいう僕もそのような付き合いをしたことはあまり無く、そしてまた興味も少ないものだ。 マンションの管理組合というものもあるが、そちらはほとんど不参加だ。 そう一条さんへ伝えると、同意の意味でうなずいてくれる。「まあ、管理組合といっても掃除や防災訓練くらいですからね。交流の場に行くかは個人の判断ですし」「そうですね。僕の場合はかなり趣味に偏ってますから……」 僕は人付き合いというのが何となく苦手なんだ。気を使って疲れるというのもあるし、印象を悪くしないよう考えないといけない。 あれ、そう考えるとどうしてマリーと一緒にいるのは苦にならないのだろう。「…………?」 目を合わせると不思議そうに見つめられたが、どうにも答えが出てこない。 彼女と一緒にいても面倒だとは感じていないし、気苦労することさえ楽しめている。うん、僕の中によく分からない面が出てくるとは思わなかったな。 などと考えているときに、一条さんは声をかけてきた。「もし良ければ、どこかで私達だけでも交流しませんか? その、正直なところマリアーベルさんと仲良くなりたくて」「え、ああ、そうですね。では連絡先を……」 他の人との交流も日本語の勉強になるかもしれないと思い、申し出を了承することにした。とはいえすこし緊張するな、女性と連絡先を交換するなんて。 SNSの登録を済ませるというのは、エルフにとっては不可思議なやりとりに見えただろう。「ね、ねえ、何をしているの?」「うん、彼女が君と仲良くなりたいんだって。だから連絡先を教えているんだ。構わないかな?」「それはもちろん……構わないわ。でも……」 カウンターの下で、するりと柔らかい指が僕へと絡みつく。 きゅっと握られる感触からは彼女の感情が伝わってくるようで、なぜか胸がとくとくと鳴り始める。「大丈夫だよ、僕もずっと一緒だから。君の初めての友達ができると思う」 そういえば彼女はすこし引っ込みがちな性格だったのを思い出す。交流を苦手としているし、ある意味で僕と似通っているのかもしれない。 少女は無意識に僕の手をにぎにぎとし、それからようやく顔をこちらへ向けてきた。